日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ひたすら感謝(634)

f:id:seiichiconan:20220306225415j:plain
f:id:seiichiconan:20220306225405j:plain
f:id:seiichiconan:20220306225356j:plain
f:id:seiichiconan:20220306225346j:plain
f:id:seiichiconan:20220306225336j:plain
令和四年三月六日撮影。コンパクトカメラだったので極めて不鮮明。

◎ひたすら感謝(634)

 この日は午後になり、急遽、家人が「買い物に行く」と言うので、車で送った。

 買い物の間、私の方は急いで、いつもの神社に向かった。店から遠くなかったので、30分もあれば行って来られる。

 駐車場に入り、歩き始めると、さすが体調がイマイチなので、足元が覚束ない。

 神殿までたった60、70メートルなのに、足がやたら重い。

 「これじゃあ、トラに初めて会った頃と同じだな」

 神殿前のたった十数段の階段を上がるのにも苦労した。

 ここであの頃を思い出す。

 「せっかく猫が導いてくれたのだから、このトラに会うために『百回』この神社に参拝しよう。それが目標だ」

 それから六年が経ち、この日で634日目になった。

 「なあんだ。えらく儲かっているわけだ」

 

 これは、よくある「コップの水理論」の話だ。

 コップ一杯の水がある。これを飲むと、水は減ってしまうが、その水の減ったコップを眺めた時に、「こんなに減った。もうこれしか残っていない」と考えるか、「これだけ飲んだのに、まだこんなに残っている」と考えるか。

 誰もが知っているお馴染みの問答だ。

 「そりゃ、『まだこんなにも残っている。ラッキー』と思う方が幸せに生きられるよな。特に俺みたいな者なら・・・」

 

 思い起こせば、これまで幾度死に掛けたことか。

 その都度、「これでもう終わり」と腹を括る瞬間が幾度もあった。

 とりわけ、心停止の後に見えたものや、お迎え(死神)が来た時と来たら、本当に酷いもんだ。

 だが、これまで充分に生き、味わって来た。

 「なら、結論は『丸儲け』だってこと」

 コップの水が「殆どゼロ」の状態から、繰り返し盛り返して来たわけだ。

 なら、今月あの世に入ろうが、後悔や痛恨の思いを抱くことは無いわけだ。

 感謝、感謝。ひたすら感謝あるのみだ。

 

 神殿前で撮影したが、コンパクトデジカメだったのでTPOを外していた。

 女たちが寄っているようでもあり、気のせいの範囲でもあり。

 外見がかなり気持ち悪いとはいえ、女たちはどちらかと言えば味方の側だし、ウェルカムということだ。

 ま、私はもう一年前とはさらに別人で、TPOが合えば、概ね思ったものを撮影できるようになって来ているとは思う。

 なお、画像には何ひとつ確からしいものは写っていないので念のため。

 「気のせい」であり、もうじき死ぬかもしれん者の心持ちの問題だ。