◎ひたすら感謝(634)
この日は午後になり、急遽、家人が「買い物に行く」と言うので、車で送った。
買い物の間、私の方は急いで、いつもの神社に向かった。店から遠くなかったので、30分もあれば行って来られる。
駐車場に入り、歩き始めると、さすが体調がイマイチなので、足元が覚束ない。
神殿までたった60、70メートルなのに、足がやたら重い。
「これじゃあ、トラに初めて会った頃と同じだな」
神殿前のたった十数段の階段を上がるのにも苦労した。
ここであの頃を思い出す。
「せっかく猫が導いてくれたのだから、このトラに会うために『百回』この神社に参拝しよう。それが目標だ」
それから六年が経ち、この日で634日目になった。
「なあんだ。えらく儲かっているわけだ」
これは、よくある「コップの水理論」の話だ。
コップ一杯の水がある。これを飲むと、水は減ってしまうが、その水の減ったコップを眺めた時に、「こんなに減った。もうこれしか残っていない」と考えるか、「これだけ飲んだのに、まだこんなに残っている」と考えるか。
誰もが知っているお馴染みの問答だ。
「そりゃ、『まだこんなにも残っている。ラッキー』と思う方が幸せに生きられるよな。特に俺みたいな者なら・・・」
思い起こせば、これまで幾度死に掛けたことか。
その都度、「これでもう終わり」と腹を括る瞬間が幾度もあった。
とりわけ、心停止の後に見えたものや、お迎え(死神)が来た時と来たら、本当に酷いもんだ。
だが、これまで充分に生き、味わって来た。
「なら、結論は『丸儲け』だってこと」
コップの水が「殆どゼロ」の状態から、繰り返し盛り返して来たわけだ。
なら、今月あの世に入ろうが、後悔や痛恨の思いを抱くことは無いわけだ。
感謝、感謝。ひたすら感謝あるのみだ。
神殿前で撮影したが、コンパクトデジカメだったのでTPOを外していた。
女たちが寄っているようでもあり、気のせいの範囲でもあり。
外見がかなり気持ち悪いとはいえ、女たちはどちらかと言えば味方の側だし、ウェルカムということだ。
ま、私はもう一年前とはさらに別人で、TPOが合えば、概ね思ったものを撮影できるようになって来ているとは思う。
なお、画像には何ひとつ確からしいものは写っていないので念のため。
「気のせい」であり、もうじき死ぬかもしれん者の心持ちの問題だ。