日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎昔は気付かなかったが

f:id:seiichiconan:20220319072035j:plain
f:id:seiichiconan:20220319072025j:plain
f:id:seiichiconan:20220319072013j:plain
f:id:seiichiconan:20220319072005j:plain
平成二十九年二月二十二日撮影

昔は気付かなかったが

 今では朧気でも分かる。

 物ではなく気配(空気中の異変)を観察すれば、かたちがはっきりせずとも何となく分かる。

 摺りガラスの向こう側の景色に似ているが、摺りガラスはガラスの向こうであるのに対し、この手のは前のもやの中にいる。

 自分の方から先が消えていれば、誰でも「おかしい」と気付く。

 そもそも、同じ人影を幾度も同じ場所で見ているから、気付くのが早くなる。

 ま、当事者(立会者)は視角だけでなく、聴覚でも異変を感じ取ったりするわけだが、画像だけを見ている分には、ただの「ぼやけた景色」に過ぎぬ。

 単なる「気のせい」ということだが、当人が分かればよいだけのことだ。

 他者の理解や共感は不要で、当人が意味を考え、自分の生活や人生に生かせばよいということ。

 

 追記)記事を貼り付ける際に、天井からもの凄いラップ音(足を踏み下ろしたような「バッチーン」)。

 「また地震が来るのか」と驚いたが、地震ではなかった。