日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎警戒すべきケース

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令和三年三月二十九日撮影

◎警戒すべきケース

 画像は昨年の三月二十九日のもの。

 これが何かを知らなければ、ただの部分的な「ガラスの歪み」にしか見えない。

 ところが、画像が歪むのはほんの一瞬の間のことで、歪みが生じる箇所が移動したかと思うと、さあっと消えてなくなる。

 ガラス映像だけでなく目視することもあるが、その場合は0.1秒から0.3秒程度のまさに「ほんの一瞬」の出来事だから、チラ見の「チ」程度しか目に入らない。

 注意深い人であれば、「今、なにかが動いた気がする」と感じることもあるのだが、予め意識していたり、あるいは画像に留めぬ限りは確たる認識を得るのは難しい。

 

 だが「幽霊」が人前に出るケースは、こういうのが最も多い。

 基本的に「可視域の外」にいるので(生きた)人間の眼には見えぬのだが、動作があると光がぶれるからその歪みで認識しやすくなる。

 はっきりと人の目に姿が見えるのは、幽霊の側がどう相手を眺めるかによるようだ。

 極力、自分の姿を隠し、悟られぬように寄って来る時には、もちろん、「何かしらの意図・魂胆がある」ということだ。

 人間の中にも悪人はいるが、人に害をなそうとする者は、殆どの場合、自身の本性や魂胆を隠そうとする。

 

 こういうのは、なるべく早く見つけて、「おい。きちんと見ているからな」と警告を与えることが重要で、実際に効果がある。

 野球でベース上にランナーがいる場合に、投手はそのランナーに視線を送り、動けぬようにするが、それと同じだ。

 

 遠目で見ると、一体の人影に見えることが多いが、実際にはっ複数の顔や体の一部が重なっている。

 幾十、幾百の幽霊がダンゴ状に固まっていることもあるのだが、これが要するに「幽界の霧」の本質だと思う。

 昔、諸星大二郎さんというSF・伝奇漫画家が「亡者が何百と集まった大玉」を描いたが、この手の画像を観るとその漫画を思い出す。