日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ささやかな祝い

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ささやかな祝い

 「三月を越えられたら」と取り置いていた酒を出し、飲むことにした。

 つまみは福岡の「焼き鰯鱈子」だ。

 若葉の生酒(岐阜)は「間違いなし」の味だし、つまみもこれによく合っている。鱈子は頂き物だが、あまりしょっぱくなく、塩分制限のある者でも食べられる。

 なるほど。鱈子以外の魚卵(鰤子など)は多く売れずに捨てられるわけだが、この路線で加工すれば、商品化が出来そう。

 世の中には、利用されずに捨てられる食材が沢山あり、メジャーでない魚卵もそうだが、ホタテのヒモとか酒粕なども大部分が廃棄される。

 いくつかは加工方法が分かったが、素材自体関東ではほとんど流通しないことが多く、試せる機会が少ない。

 

 さて、毎年、「今度はダメかも」と思う時が来るが、その都度何とか乗り切れている。

 どこがどうというわけではなく(具合はいつも悪い)、直感が働いて、危機も知れば解決策も何となく見える。

 この感覚は他の人には伝わらぬと思う。

 私は心停止の経験があるし、「お迎え」を正面から見たこともあるが、同じ経験をしたことのある者はいずれも数十万人に一人くらいだから、伝わるわけがない話だ。

 

 こういう状況で頼りになるのは知識ではなく直感だ。執着心や願望・欲望を捨てて(これが難しく目が曇る)、直感の通りに行動すれば、際どい瞬間を乗り切れる。

 たった二週間で「がらり一変」したわけだが、たぶん、夏の間は私は生きていると思う。

 ま、私がなかなか死なぬので、ついにあの世からの逮捕状(もしくは召喚命令)が出たようだ。これをかわす日々はこれからも続く。

 

 「信じる」ことと「願う」ことはよく似ている。「心と体、そして魂の状態をうまくコントロールすれば、自身の改善に役立つ」考えを身に着けることで、実際に効果が生まれる。もちろん、多くは自己免疫力の改善ということだから、直接病気が治るわけではない。

 だが、きちんと筋を通すことで、改善の道が開かれる。

 「心・身・魂」の調整は、何も困ったことが起きていない時から訓練し、習熟する必要がある。病気になってから慌てて、神仏を頼む人が多いが、その時にはもう遅い。

 困難から逃れたいという「願望」が先に立っているからだ。