日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「仙北角館の古札」

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角館の私札類

◎古貨幣迷宮事件簿 「仙北角館の古札」

 整理の手が空かず、先週の開示品については明日以降の開札になる。

 申し込みのあった品については、同価が多そうだったが、どのように処理するかはこれから考える。

 申し込みを見れば分かるが、どうやらブログの解説はあまり読まれていないようだ。

 

 さて、今回の話は角館の札類に関するものだ。

 ネットオークションが始まった頃は、割合、バラエティに富んだ出物があった。

 「ウブい」蔵出しも時折見掛けた。

 自身が蔵明けに立ち会っていたりしたので、どのような状態で出るかはある程度知っている。そこで、「古銭」や「藩札」のジャンルはほとんど見ずに、他のジャンルに紛れ込んでいる古銭や札類を検索した。

 「紙屑」類には、蔵の奥から汚い書き物が出たが、何だか分からない。そこで「エエイ。一括で売ってやれ」という出品になったのだろう。

 ごく初期段階だが、角館の紙屑が段ボールで出ていたので、それを落とすことにした。伝票や領収書の類には、古札が混じっていたりするものだ。

 「紙屑」という表記の割には随分と高値だったので、私の他には応札が無く、下値で落札した。

 私が頼りにしたのは、ただ一点で、書付けに記された相手の記名として大名家の名字が記してあったことによる。室町大名の名だが、江戸時代に下っても当地に残った親族はいただろう。無ければこの文書は出ない。

 到着品を開けると、中身は十六世紀から十九世紀に至る文字通りの「紙屑」だった。

 古文書あり、地券の類ありとごた混ぜだ。

 少し検分したが、やはり札類も混じっていた。明治の酒の領収書にいたるまでの伝票類の中に米切手や金種の書かれた札が混じっていたのだ。

 中には面白い品も多く、「これは好事家が持つより博物館で調べて貰う品だ」と考え、地元に戻すことを考えていたのだが、整理が追い付かず、長らく放置されることになった。

 近年になり、まとめて当地の資料館に持って行こうとしたが、コロナが始まり、それも出来ぬまま二年以上が経過した。そのうち、私の体力が厳しくなり、幾つかは手放さざるを得なくなった。

 同じような札類が他にもあるのだが、まずは私自身の郷里とは少し離れた地の品から順次処分することとした。

 これも巡り合わせだ。ついていないのは私ではなく、資料を貰えるはずだった資料館・博物館の方だろう。

 

 さて、その紙屑類の一部を取り出してみる。

 ちなみに、紙屑類は多岐に渡っており、冒頭の画像は「文化三年に作成された武家官位の読み方表」となっている。文化三年は1806年だからこの一包の中では新しい方と言ってよい(参考図)。

 

C101 角館私札 米切手 (明治二年)

 まずは分かりよい明治のものから。

C102 角館私札 米切手 (弘化二年)

 形式が古札コレクターの好むものとなっている。

 

C103 古札 (まだ詳細分らず)

 これは所謂「お宝」だ。記年が「元和〆」で、「〆」は概ね「五」を略したものだから、元和五年のもの(1619年)。

 元和五年と言えば、まだ戦国時代が終わったばかりで幕藩体制が整っていない頃になる。私はこの時代の書き物を入手したことがない。

 少し眩暈がするのは、記名が「蘆名※※」(推定)であること。角館には室町大名の戸澤氏がいたが、後に蘆名氏のものになった。蘆名氏は一時は転封されていたが、慶長七(1602)年に当地に戻って来た。

 よって、この蘆名氏の縁者が振り出した札である可能性がある。当代は蘆名義弘で、この縁者であれば、資料的にかなり面白い。ま、そもそも「蘆名」ではない可能性もある。

 

C104 角館 柴田金札 壱両壱分弐朱

 これは古札コレクターには垂涎の品だと思う。私札だろうが、「カクタテ」の印が押されている。角印を押してあるのは「商売を手広くやっている商人」であるということ。 

 「角館(かくのだて)」は、個人名では「かくのだて」と「かくだて」という読み方があるが、地名で「かくたて」と呼んだのは、一体、何時の頃なのだろうか。

 数日間、この品で手が止まったのだが、これは記年が「戊亥」と書いてあるように見えるからだ。十干十二支のルールでは「戊(つちのえ)」と「亥(い)」の組み合わせは無い。となると読み方が違うのかもしれぬ。

 ちなみに「亥」の年は「丁亥」「己亥」「辛亥」「癸亥」「乙亥」の五通りとなる。

 公札・準公札であれば角館札は、かなりの希少品だ。私札でも、形式がきちんと整っている品であれば、充分にコレクションとして見ごたえがある。

 「角館」で使用された札類を所有している人に、私はこれま出会ったことが無い。

 (もちろん、ただ出会わなかっただけかもしれぬと付け加えて置く。)

 少し困るのは、腹を括って「もはや処分しよう」と思っても、どこにも出たことが無いので売価の検討がつかぬことだ。

 ま、102以降については「千円二千円ではないだろうな」とは思う。

 

 じっくり研究する時間と体力があれば、さぞ楽しかろうと思うが、こればかりは致し方ない。

(注記)いつも通り一発殴り書きで、推敲や校正をしない。誤りや誤記・誤変換はあると思う。これは致し方ないと思って貰うほかはない。 

 

追記)柴田金札の記年は「戊寅」のようだ。寛永十五年、元禄十一年、宝暦八年、文政元年のいずれか。