◎夢の話 第1K32夜 母の願い
十七日の午前四時に観た夢です。
頸筋に冷たいものを感じ、俺は目を覚ました。
すると、目の前に顔の半分を布で覆った男二人がいた。
二人は俺が寝ている間に家に押し入った強盗だった。
「おい。金か食い物を出せ」
俺の頭には五歳になる息子のことが浮かんだが、いつも息子は押し入れの中で寝ている。
二人はまだ息子のことに気付いていないようだった。
もう一人が口を開く。
「こんな襤褸(ボロ)屋だから、ここに金など無いだろう。ありったけの食い物を出せ」
だが、もちろん、食い物など無い。既に三年に渡り飢饉が続いたから、種籾すら残っていなかった。
「あるわけがないだろ。お前たちも知っての通り、今年も作物の収穫は皆無だ。雑草すら生えぬ天気だもの。どこへ押し入ったところで食い物などないだろうに」
すると、最初の男が答えた。
「いや、最後の最後にと隠して置くものがあるもんだ。枕の中に豆を入れて置くとか、いよいよ餓死しそうになった時に、ひとまず命を繋ぐだけのものを必ず持っている」
俺は長押の上を指さした。
「あそこに干し魚が三匹差してある。ここにはそれしかない」
川で釣った魚を竹串に差し、乾燥させて、長押の上に差して置く。これは長く保存するためのものだ。
男はそれを聞いて幾らか腹を立てたようだ。
「そんなものは腹の足しにならぬ。米や麦、豆を出せ」
「ないものは出せぬ」
ここで男たちが相談する。
「こいつはこう言うが、百姓は必ずや食い物を隠しておる。大体は縁の下だ」
「そうだな。きっとそこだ」
男の一人が振り向きざまに俺を蹴り倒した。
「こいつもきっとこの下に甕を隠して居る」
男は匕首を床板の隙間にこじ入れ、板を持ち上げた。
床板は根太に釘で打ち付けていなかったから、簡単にひっくり返った。
「ほうれ。甕があったぞ」
男が一尺丈の甕を床下から取り出す。
「初めからこれを出せば、俺に蹴られることも無かったのに」
すぐさま、もう一人が甕を結んだ縄に手を掛ける。
「さあて中身は何だろうな。米かそれとも」
匕首で縄を切り、甕の蓋を開く。
最初の男が中を検め、中身を確かめた。
「胡桃だ。この甕には胡桃が入って居る。それと何やら書付けがあるぞ」
男が取り出したのは、手の平の大きさの紙だった。
「それは起請文だ。先年死んだ俺の妻が記したものだ。妻は飢饉が終わらず、息子に命の危険が及んだら、死なずに済むように胡桃を与えろと言っていた。妻は病で死んだが、死ぬ前にその甕に願をかけていた。もしそれを他の者が手を付ければ、たちまち妻の祟りが降りかかるぞ。それは息子のもので、例え父親の俺でも手を付けることはかなわぬのだ」
男の一人が口を曲げて笑った。
「そんなことがあるものか。お前はこれを取られたくないから、そんなことを言って取られまいとしているのだ。だまされぬぞ」
「いいや嘘ではない。もしそれを家に持ち帰り、妻や子に食べさせれば、すぐに皆が死ぬ。それでよいのか」
「なら、まずここでお前が食して見ろ」
「俺は妻の夫であり息子の父だ。もし俺が死んだら、それでも息子の命が危うくなるから、俺のことは殺しはせぬ。食えば腹を下すだろうがな。試して見たければ、己でやることだ」
これで男たちが顔を見合わせた。
「有り得ぬな。胡桃の実には多少の灰汁はあっても毒は無い」
「だが、もしこ奴の言う通りなら」
俺はここで前に出ることにした。
「話は簡単だ。俺の言う通りなら、食った者は妻の祟りを被る。道は二つにひとつで、これを置いて立ち去るか、今ここでお前たちが食ってみるかだ。持ち帰って家族に食わせ、そこで家族が死んだなら目も当てられまい。それとも、押し込みに入る度胸はあっても、胡桃一つが食えぬと申すのか」
二人が揃って俺のことを見る。
「ではこいつの申す通り、食ってみるか。ただの胡桃だから何も起きぬだろう。さて、どっちが食う?」
「馬鹿野郎。食うなら一緒に食えばいいではないか」
男たちは甕から胡桃を取り出し、匕首の柄で包みを叩き、殻を打ち割った。
そして殻から実を取り出し、二人同時にそれを口に入れた。
二人は互いの顔を見ていたが、何事も起きない。
「なあんだ。やっぱり胡桃は胡桃だ。毒が入っているわけでもなければ、祟りも起きぬ」
「危うくこ奴に引っ掛かるところだったな」
ここで二人が俺のことをじっと見る。
「さて、こ奴のことはどうしよう」
すると、最初の男が相棒に答えた。
「いつも通りだな。まずは、この甕を荷車につけよう。それから、ほれ」
「相分かった」
一人が甕を抱え、家の外に出て行く。
後の一人は匕首を構え、俺のことを見ている。
俺はそいつに声を掛けた。
「俺のことは殺すのか。ま、押し込は死罪だから、これだけ話をしたとあれば殺す気になるだろうな。証人は残さぬ方が無難だ」
「ま、そんなとこだ」
だが、すぐに戻って来る筈の相棒がなかなか戻って来ない。
盗人は次第にいらいらし始めた。
「おい豊吉。何をしているのだ」
家の外からは何も返事が来なかった。
「おい。どうしたのだ」
ここで、俺はその盗人に言い渡した。
「妻が願を掛けたものに手を付けたから、お前たちはここで命を落とす。お前の仲間はもはや外で死んでいる。お前だって、もう手足が動かぬ筈だな」
男は体が痺れているのか、匕首を取り落していた。
俺はそれを拾い、男に近づいた。
「長く苦しまずに済むように、俺が引導を渡してやろう。なあに、すぐに済むから、それほど苦しくはない」
ここで覚醒。
夢は文政から天保にかけての飢饉の時代の設定となっていた。
男の妻は子への愛情から、死に間際に我が子のために願を懸けたのだが、そのことで愛情が執着心に変わり、悪縁(霊)と化して行く。