◎古貨幣迷宮事件簿 「雑銭の中から」その3
長椅子の後ろから雑銭が出て来たので、その続き。
図07 朝鮮銭
前回よりは少しましな方。
東北の「元は武家」の御宅にお邪魔した際のこと。
江戸時代の古鏡のコレクション箱があったが、中身の古鏡は既に大半が散逸した後だった。その時に一緒に買い取った朝鮮銭だ。なお、絵銭は後から放り込んだもの。
古銭や古鏡の収集は、江戸時代から各地で行われていたらしい。
津軽藩などは、藩主が皇朝銭のコレクターだったから、藩士の中にも主に倣って古銭を集めた武士がいる。このため、武家屋敷の納戸から、思いもよらぬ皇朝銭のセットが出現したりする。総て流通銭だから、発掘銭などとは風格が違う。
津軽には独自貨幣が無いのだが、コレクションが遺っている。
こういう知識は足で歩いてのみ得られる。店やネットで幾ら買い集めても、「どこでどういう風に仕舞われていたか」という知見が深まらない。
収集家の大半は、「包みの中に古銭が入っている」と聞くと、すぐに包みを解いて中を見ようとする。その包みの方が中身よりも重要だったりもするわけだが、とにかく中の銭を見て、次は「分類を始めてしまう」(ため息)。
もはや収集は卒業なので、正直に書けるが、その様子を見て、私は「こいつはよほどの抜け作だ」と思っていた。どんなに細かく分類しても、想像力が欠如しているのでは、そこで終わり。
ところで、朝鮮銭は出来がいい加減でどうにも好きになれぬ。これを買い取った時にも、別に「古常平」と記された紙袋が三つくらいあったが、中身は空だった。昭和になってから、たぶん、売れそうなものだけ先に売ったのだろう。
古常平に値がつくのは、興味のない者でもさすがに知っている。
朝鮮文化は所詮「物まね」で、考えようによっては出発点は日本と同じなのだが、日本人はきちんと「誰それの模倣」であることを記すのに対し、朝鮮人は「自分の方が起源」と主張する。盗人に加えて嘘つき詐欺師の文化だから、学ぶものが何もない。「朝鮮四千年の歴史」と主張しているそうだが、その物的証拠となる皿一枚も出して見せたことはない。ただの妄想に過ぎぬ。
厳しい表現を並べるが、私は半島から出張して来た窃盗団の被害に遭っているので、念のため。「被害者は加害者に対し何を言っても良い」というのは、あちらも認めるところだ。ああ、早く半島が雷で滅びるのが観たい。
図08 中国銭の包み
雑銭にも「道」みたいなものがあり、通じて来ると、構成を一瞥しただけで、どのような素性のものかが分かる。これは二十枚くらいずつバラ銭で買い取ったものを合わせたものだが、未選別品だ。
北宋銭など今や集める人がいるのかどうかわからぬほどだが、あながち小馬鹿にも出来ない。ウブ銭に皇朝銭が混じっていたりするからだ。
埼玉辺りには、渡来人が北上する折に、半島から持参して来た文物をお金に換えて持って来た。これがまとまって出土することがあったが、雑銭、とりわけ中国銭の中に皇朝銭が混じっていることがあるから気は抜けぬ。ま、埼玉では古金銀は出ても、穴銭はあまり出ない。
図09 出来「一」の寛永通寶
前に入札に供したことがあるが、殆どの人が「たまたま」だと思うらしい。
だが、この位置に、この長さでたまたまできる確率は、ロト7に当選するくらいの確率だ。
一般的には、職人が砂笵を意図的に引っかいて、「一」と横棒を入れたと見なす方が有り得そうな話だ。
「厄」を集めて、人に障りが及ばぬようにする意図による。
同じものが出てくれば俄然面白くなるのだが、その可能性はない。
ロト7に二回当たる者はいないのと同じ。同じ売り場から2口出ることがあるが、あれは胴元が当選口を乗せたものだろう。博打・富くじのテラ銭と同じ。
注記)一発書き殴りで推敲や校正をしないし、眼疾で出来ない。不首尾は必ずあるのと思う。ほぼ全編がブラインドタッチで、見返すことも出来ぬ。