日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎自分は「もう終わった」と思う時

自分は「もう終わった」と思う時

 部屋の整理をして、売れるものは処分する方針だ。

 ついさっき手に品物を持っていて、「とりあえずここに置いておき、後で整理しよう」とどこかにそれを置いた。

 だが、その「ここ」がどこだったかをどうしても思い出せない。

 両手で持つ大きさなのに、一体どこに置いたというのだろう。

 既に「ここ」を一時間探しているが、どこにもない。

 この調子で、過去半年で三十万超の品物が消息不明になった。

 自分は「もう廃人なのか」と考えさせられてしまう。

 

 そう言えば、数日前に家人が似たようなことを言っていた。

 「最近、物忘れが酷くて・・・。私はもうトシなのかしら」

 そこで家人を励ました。

 「心配するな。お前は普通で、昔と変わりない。そもそも二十台の頃から天然ボケだったわけだし」

 と言ったところで、すぐに気付き、毒を中和させることにした。

 「俺はお前のそんなところが気に入って結婚したのだから、何も気にするな」

 実際、「自分が傍にいなければ、コイツは何も出来んだろう」と思って結婚した。

 今年の流行語のひとつが、「知らんけど」だが、語尾にこれをつけるのとつけぬのとでは、印象がまるで違う。

 どうやら今回は上手くスルーしてくれた。

 

 かっぱらわれた品については、「何時何処で、誰が」まで記憶しているが、自分自身の不始末については、トント思い出せない。

 部屋の中の雑物も、知人に無料で贈呈しているが、その中にはお宝を引き当てる人が出ると思う。

 当てにして寄り付く者には、当然だが、バチの方を送る方針だ。

 息子には、「父親が死んだ後、骨董や古貨幣で『友だちでした』みたいなことを言う奴が来たら、蹴り殺せ」という遺言を与えている。

 もちろん、冗談だ。私の場合は息子に頼むより、自分自身で祟りを与えた方が早い。

 たぶん、笑えなくなると思う。