日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「整理ロットの品評 M03」

◎古貨幣迷宮事件簿 「整理ロットの品評 M03」

 中国銅幣・銀幣の雑銭五十枚程度。

 コロナ前には中国のコレクターが銅幣を買い集めていた。その頃売却した残りになる。

 これらを入手した経緯については幾度か記した。

 長野を訪れた時に、たまたまGパン屋の閉店を知り、倉庫ごと買い受けた。

 Gパンは商売にならなかったが、倉庫の奥の棚に木箱があり、中国の銅幣が沢山入っていた。後年、これを売却したところ、割と値が付いたので、欠損を少しは埋めることが出来た。その時の残りで、中国貨幣は彼の地のカタログで調べる必要があり、手間がかかるため、幾らか残っていた。

 ま、希少品はもはやないと思うが、詳細は分からない。

 雑銭ジャンク扱いの設定で売却に供する。

 

 銀幣のうち袁世凱一圓のうち二枚は、当時の贋金(タングステン合金)らしい。もう一枚には荘印が打ってあるが、手元に比重計が無く真贋は調べていない。あくまで雑銭扱い。

 

 これも幾度か書いたが、練馬区の建設会社から「山下財宝が出た」という連絡を受けたことがある。フィリピンのプラント建設を請け負っている会社だったが、「土中にドラム缶が埋まっていたが、中身が銀貨のようだ。見てほしい」とのこと。

 フィリピンの日本軍関係の財宝であれば、マルコス大統領が大半を掘り出し米国に送って隠し資産としたのを知っていたが、とりあえず出掛けてみた。

 サンプルを見せて貰うと、いずれも鋳造・合金製の贋金だった。

 恐らくタングステン合金で、トレードダラーが使われていた当時のもの。通用目的の偽物で、要は「通用贋金」ということになる。

 日本軍が貴金属を徴発した際に、金銀など貴金属と偽物を分別したが、そのダメな方をドラム缶に入れて廃棄したらしい。発掘されたのは、合金製の方だった。

 なお、旧日本軍の徴発した貴金属はコイン型で残っていることはなく、金銀などは総てインゴッドに直したようだ。また、シンガポール銀行のインゴットに日本軍の刻印を打ったものが当地では知られていたから、マルコス以外にも幾らかは実際に発掘されたようだ。

 歴史の背景を知れば、たとえ贋金であっても、そこはかと風情を感じさせる品となるようだ。コレクター向けの「参考品」でなく、「通用贋金」であれば、それはそれで面白い。

 古貨幣そのものに価値など無く、価値あると思わせるのは知識であり情報の方だ。