日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ようやく冷静に戻る

ようやく冷静に戻る

 ようやく体の周辺の「わちゃわちゃした感じ」が鎮まり、冷静になって来た。

 昨日の神社でのあの感じは数十に及ぶ者が「ああでもない」「こうでもない」と語り掛ける状況だ。心の持ちように影響があり、ろくな展開にはならない。

 朝一番でこれを見ていれば、お祓いとお清めで過ごしただろうと思う。

 実感としては、すぐ近くの衝立の向こう側に人々がいて、口々に何やら話をしている感じだ。

 「かやかや」「ぼそぼそ」と話し声が聞こえるが、大半は言葉が聞き取れない。

 状況を頼りに推測を加えて、ようやく何を話していたかが推測出来る「こともある」。

 

 前にも書いたと思うが、学生時代に数か月間ずつ東南アジアに滞在したことがある。

 難民キャンプで働いている時には、宿舎から海辺のキャンプに通ったのだが、行きはバイク便、帰路は徒歩で片道二キロの道を行き来した。田舎道だが、少し迂回すると町があるので、帰路には遠回りをして、ガレージみたいな食い物屋に寄った。

 その途中に大規模プラントの工事現場があったが、度々見物しているうちに、ガードマンと仲良くなった。

 言葉がよく分からぬが、身振り手振りでやり取りをした。

 帰路にはそこで油を打つのが日課のひとつ。

 だが、ある時、いつものようにプラントへの道を進もうとすると。何だか嫌な感じがある。

 もやもやと鳩尾のあたりが気持ちが悪く、首の周辺に「わちゃわちゃした感じ」がある。

 そこで、その日は別の近道を通って宿舎に帰った。

 すると、夜中になり、他のボランティアが言うには、「午後にプラント事務所に強盗が入り、ガードマンが射殺された」とのこと。

 それはいつも寄り道していたプラントのことで、殺されたのは、顔見知りになっていた若者だった。

 労働者の給料を狙って強盗が入ったらしい。

 それを聞いて、複雑な心境になった。

 

 ひとつは、事件が起きたのがちょうど当方がその場に着くはずだった頃のことで、いつも通りに寄り道していれば、巻き添えになったかもしれぬということ。

 あの嫌な感じはそれだった。

 

 二つ目は、事前にそれが起きると分かっていたなら、あのガードマンに警告をして、死ぬのを回避させられたかもしれぬのに、それが出来なかったということだ。

 あの同年配の若者には、若い奥さんと小さい子供がいた。

 

 直感には「背後に何かの意思が働いている」のかどうかがよく分からない。不確かだし、確たる根拠がないから、想像で補うしかない。

 次に起こりうる状況を推測するには、どうしても不確かな要素があるから、上手く物事を処理できぬことの方が多い。

 直感のおかげで命が助かったことは幾度もある。

 つい一年前にも、医師を含め、医療従事者が口を揃えて「心臓の治療が必要」と言ったが、当方は「原因は心臓ではない」と思ったので、治療を受けなかった。

 体力がなく、受けたら、たぶん、術中に死んだと思う。

 終始、そういう方向に向かわせようという悪意を感じていた。

 

 だが、当方は習慣的に「直感に従う」方針なので、結局生き延びることが出来た。

 その反面、常に色んな閃きや雑多な思念が差し込んで来るので、余計に惑わされる。

 不確かな推測だけに、余計に悩まされる面も大きい。

 そして、そういうのは、自分以外に誰も理解出来ない。自分に正直でいると、どんどん孤立して行く。

 もちろん、あっさり死ぬよりはまし。生きててナンボの話だ。