日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎感情だけの存在

◎感情だけの存在

 母子は十六年前からずっと私と一緒にいる。あるいはここに住むようになった二十数年前からかもしれぬ。

 母子が同化・合体しており、二体がほぼひとつ。これは母親の愛情によるものだが、子どもの姿は母親によって作られたものかもしれぬ。

 昔の画像なので、時間が経つにつれて薄くなり、ほとんど判別できなくなった。

 

 幽霊は「感情だけの存在」だが、感情は波と水(液体)の両方の性質を持つ。水と同じで、一度、心の中に取り込んでしまうと、分離し難くなる。よって、影響を抑えることは出来るが、消し去ることは出来ない。 

 これが悪縁(霊)でも同じで、除霊浄霊の手立てで、完全に除去できるわけではない。

 

 私が母を強く敬い、常に愛情を感じているので、この二人にとっては居心地が良いのだと思う。

 何をするわけでもないが、時々、画像の隅に写る。

 他の人にとっては、ただの光と影に過ぎぬのだが、当人には感情への影響があり、識別できるようになると、存在がよりよく分かるようになる。

「波」は存在しており、力学的な影響を及ぼすが、波そのものとしての実体(かたち)はない。

 幽霊が人の姿に実体化するのは、ごく稀な状況で、ほとんどは、波や水として存在している。

 眼に見えぬからと言って「存在しない」わけではないのは、空気とも同じだが、基本は、水(液体)や波と同じように存在している。

 

追記1)慣れると、かたちがまったく無くとも、「そこにいる」と分かるようになる。だが、他の人にはほとんど理解出来ないので、ただの妄想癖と同じ状況になってしまう。
 母は一切口にしなかったが、今はそれが正解だと思う。自分が見ている者が他人には見えぬし感じられぬし、触れぬのだから話しても仕方がない。
 だが、当人は具体的に、力学的に触られてしまう。

 家人によると、娘の部屋には小さな祭壇のようなものがあり、時々、お焼香をしているらしい。
 それを聞き、「コイツも母や俺と同じなのか」とヒヤッとするが、娘とはこの話を避けるようにしている。家の中を「幽霊の話だらけ」にしたくないからで、結局は母と同じ振る舞いになっている。母は一度も「深夜に何者かが自分の枕元に訪れる」話をしたことがないが、傍で見ていれば母に何が起きているかが分かった。

 

追記2私は基本的に性格が悪いので、「見えぬからいない」みたいな反応を聞くと、「バカなのか」と思ってしまう。心は見えぬが存在しているのは明らかで、中身を眼で確かめることは出来ないが、想像や推測することは出来る。
 いつも宗教家や自称霊能者の話を笑うが、あの世に積極的に関わろうとしている者ほど、実は「見えぬからいない」と言う考えを地盤にしているからということ。
 どういうわけか、「自分が見える」と信じており、ひいては「自分だけ見える」=「自分は特別な能力者」と思考が曲がって行く。

 心(感情)と同じなのだから、幽霊は「誰の目にも見えない」存在で、見えるのは「たまたま実体化した時」だけのことだ。
 あの世の正しい理解の敷衍を妨げているのは、実際には宗教や霊能者だと思う。

 

 ちなみに、私の前で「自分は霊能者」「霊感がある」とひと言でも言うと、その場でその人を撮影することにしている。幽霊に関わる者・関わろうとするものには、より一層、集まりやすいから、実際に関わっているのなら必ず、背後に何かが写るし、写らぬのであれば、その人の話はウソッパチだ。

 写るのは、多く悪縁だから、どろどろとした醜い者が写ってしまう。

 要するに、写っても写らなくとも、その相手を小馬鹿に出来る結果になる。

 そもそも、霊について語る者で、自ら心霊写真を撮って、存在を証明して見せる人には、これまで会ったことがない。それだけで実態が分かると思う。