文久銭の記事を記して思い出した。
これを開示するのは三度目だが、反応は様々だ。
「同じものを見たことがあるような気がする」という人も多い。
みすぼらしい貨幣なので、目に留まりにくいし、型分類が存在していないので首を捻るばかり。
経緯はこれまで幾度も記した通り。
先輩のOさんの遺品処分を手伝った折に、雑銭のうち文久銭が残った。
売れない品は買い取る約束だったので、仕方なく買い取った。
引き取り手もなさそうなので、倉庫に仕舞うべく袋に入れようと持ち上げると、藁が切れ銭が床に散乱した。
それを拾い集めている時に、妙な品を発見した。
藁刺しは百%文久銭で、数千枚のうちのひと差の中に「寛永通寶」が混じっていた。
材質やつくりは文久銭そのものだ。
頸を捻りつつ、色んな人に見せたが、やはり皆が首を捻るばかり。
幾度か開示しているうちに類品が出て来るだろうと思ったが、所有している人は少ないようだ。やはりペラペラの粗雑な銭だからということだろう。
ちなみに、「分からない」が「欲しい」という人は多い。
その申し出には「では、値段は十円か千円か、二十万円のいずれかです。どれがいいですか」とからかうことにしている。
「十円」は出来の悪い文政ヤケ銭、「千円」は密鋳写し、「二十万円」は「文久期の試作寛永通寶」という意味になる。
もちろん、正体が分かるまで売るつもりはなく、よって存命中には分らぬままで終わると思う。
本会では、選択肢が少ない方から観察する方法を推奨しているので、1)輪側(鑢)、2)地金、3)背面、4)前面の順に観察することになる。
文久銭の場合、やや厚めでしっかりした出来のものは綺麗な横鑢が掛けられているが、ペラペラのつくりのものもあり、こちらは輪側の線条痕がはっきりしない。雑な横鑢のようんび見えるが、よく見ると斜めにも筋が走っていることがある。
錫が多く、材質が柔らかいので、軽く擦るだけでバリなどがきれいに落ちた。
背面の波は、ペンで描いたような線で、かつそれを刀で削ったような形状をしている。背波が最もわかりよいが、面(前)を見なければ、多くの収集家はこの波で「文久銭の波」と認識する筈である。
面文は小字のようだが、明和、文政の型とは違う。
強いて言えば安政銭に近いのかもしれぬが、輪側の処理が決定的に異なる。
もっとも特徴を表わすのは、「地金の配合」と「ペラペラのつくり」、「砂抜け」だろう。その1の砂笵崩れの具合は、まさに文久銭そのものだ。
おそらくは「試験的に作成してみたが、不採用になった」ということではないか。
同型の品が二十枚も出れば、その途端に「希少銭」に化ける。
もう一度雑銭を点検してみる必要がありそうだ。
注記)日々のエッセイとして書いており、推敲や校正をしない。字句などに不首尾は生じると思う。