日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎自己回復の手立て

自己回復の手立て
 酷い夢を観たが、このまま思い詰めると、クロゼットの中に入ってしまいそうなので、まずは自己回復に努めることにした。
 こういう時には「自分にも味方がある。独りではない」と思うことが重要だ。
 そこで、自分にとっての「味方」は誰かと言うことを考えた。
 この場合はあの世(霊)的な意味での味方だから、家族などは入らない。

 答えはひとつで、私にとっての味方は「トラと白衣の巫女」だ。
 七八年前になるが、心臓の治療後、経過が思わしくなかった時がある。平地を三十㍍歩くごとに立ち止まり、少し休む必要があった。階段などはもちろん、五段も上がれない。
 このため、体を慣らすために神社やお寺を回っていた。
 階段は登れぬから、駐車場までだけのことも多かった。
 そんな時に高麗神社を訪れたのだが、鳥居下に猫が蹲っていた。
 この猫は、私が現れたのを知ると、不意に立ち上がり、私を先導して内門まで導いた。
 これがトラとの最初の出会いだった。
 それから、一年に百回以上、この神社に参拝して、トラに会った。不思議なことに、この猫は私が五十㍍離れていても、遠くから私を見付け、駆け寄って来た。
 周にニ三回参拝する日々が続いたが、いつの間にか私は階段を上がれるようになっていた。
 トラが死ぬまでこれは続いた。

 トラとの交流が始まると、程なく写真の隅に「白い巫女着の女性」が現れるようになった。時々、画像の隅に立っている。
 令和元年頃には、背後に立つ姿が割と鮮明に残っている。
 おそらく、トラを送ってくれたのは、この女性だろうと思う。
 この巫女には、幾度か危機を救って貰った。 

 トラが死んで三年が経つが、最近はこの猫や巫女を身近に感じることが少なくなった。
 それと共に、悪縁(霊)の障りが降り掛かるようになったのだ。毎年のように「何か」の悪意を感じる事態が起きている。
 ここは、もう一度味方を引き寄せ、体勢を再編成する必要がある。それには、「まずは信じること」が重要だと思う。

 

追記1)誰の心の中にも後悔や「自分を責める記憶」があるが、心身が弱るとネガティブ思考が強くなる。

「自分はろくでなしで、何の取り柄も無く無為に人生を送って来た」
 思い出すのは自分が犯した悪行のことばかり。そんな風に自分を責める。

 絶望感から首を吊ってしまいたくなることすらあるわけだが、自死からは何も生まれぬし、死んで苦痛や煩悶から解放されるわけでもない。
 こういうのは人間関係(家族や友人)では埋められない。
 その意味では「信仰はひとが生きて行くために必要だ」と思う。

 あなたには、心を支え、励ましてくれる存在はあるのか。

 家族や友人知人など現世の繋がりは、死と共に潰える。生きているうちに、死後の処し方を考えて置く必要がある。