日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「称浄法寺銭 鋳放銭(Cタイプ)の出自を探る」

◎古貨幣迷宮事件簿 「称浄法寺銭 鋳放銭(Cタイプ)の出自を探る」

 在庫の残りを見直し、再整理に回している。

 南部天保および称浄法寺天保については、最大三百枚超の在庫があったが、残りはこの称浄法寺銭1枚だけになった。

 なるべく正確に記そうと思うが、昭和五十年代に浄法寺で「称浄法寺銭」が発見された時には、「袋に入ったもの」と「木箱に入ったもの」があり、当百銭の総数は三百枚から六百枚と推定されている。(「推定」と記すのは、複数の業者や収集家に小分けして売られたので、正確な全体像が分からぬことによる。)

 製作的には、大別して二通りの仕様があり、当百銭は「半仕立て」と「鋳放し」の風貌の異なる銭群があった。

 全体の話は略するが、その中で、面背に加工を施したものが十枚から二十枚の範囲で見つかっている。銭種は、南部天保の中字、大字と小字(1枚のみ)、江戸本座銭長郭・広郭等で、これを改造した品である。

 画像の品も、その時に出た品となっている。

 ちなみに、解釈は「改造母」としての扱いで、NコインズOさんの評価は5万から15万円くらいだった。価格の格差は、仕様(出来具合)の差による。

 この品は製作の劣る方だが、本座銭やAタイプ(南部天保の本銭のうち山内銭)を加工したものはそれなりに美制だが、Bタイプ以下を加工したものはそlもそも写しを台にしているので製作が劣る。

 

 この場合、この品は、台としてBタイプ(半仕立て)を使ったか、あるいはCタイプ(鋳放)を使ったか判然としない部分があった。

 そこで今回は、加工技術を詳細に検分し、台銭を推定するものとし、それにより言えることを示すものとした。

 以下にこの観察結果を端的に示す。

(1)輪側の仕上げ

 輪側の線条痕(粗砥)の方向が不規則となっているが、これは銭を複数枚束ねて扱わず、1枚ずつ平砥石に掛けたものと推定される。束ねていれば方向が揃う。

 途中で線の角度が変化している箇所があるため、グラインダを使用したものではない。

(2)面背の山の研ぎ 

 面背の山(文字や郭)の部分には、細い線条痕がランダムに走っている。

 肌理の細かい平砥石に1から数回程度走らせたものと見られる。

 なお⑥背郭左の表面を見る限り、元々はかなりささくれ立っていたとみられる。

 チョコレート色の地金と、この表面の粗さで、この品は「Cタイプ」を加工した品である可能性が高い。

 Bタイプは砂抜けがよく表面が平滑なので、山部分の研ぎ方は軽かった。

(3)谷の処理方法

 谷(文字や各以外の凹んだ箇所)部分は、砂の痕が残ったままだと抜けが悪くなるため、この箇所も平坦にする必要がある。逆に言えば、この部分を加工しているので、「母銭改造を目的とした加工」であると見なすことが出来る。

 この部分をどう加工したかを観察すると、極めてランダムな方向に曲線の線条痕が走っていることが分かる。これはすなわち、ちいさい「へら」のようなもので擦った、という風に解釈できる。

 

(4)見解

 この品は「C鋳放銭群から素材を取り」、母銭改造を試みた品である。

 製作中に、母銭が足りなくなったので補填しようとしたものではないか。

 ごく僅かだが、B銭群の末鋳を加工した可能性も残ってはいるが、素材をどれから取ったかはあまり重要ではない。重要なのは「作成意図」と「手法」だ。

 

 この場合、より重要なことは、B群を製作するために加工した「改造母」の技術とは、明らかに加工方法が異なることである。

 細部まで丁寧に研磨しようとする姿勢がまったく見られない。

 「大量鋳銭を想定し、それに適合可能な母銭を制作する」という流れの中には無いと思われる。

 簡単に言えば、下記のことが言えると思う。

 A群、B群の間には加工技術で一定の共通点があるが、C群と繋がるのは、銭種(台の文字型)のみであると言える。AからBの連続性は認められるが、Cは工具からして違うものを使っている。

 常識的には、「作った人 」「作った時代」が離れていると解釈される。

 

 この品は称浄法寺銭を語るうえでの「決定的なクライテリア」のひとつである。

 以下は、従来の私の見解の通りで、C群は幕末の地方密鋳銭(通貨)では到底なく、明治以降に絵銭として作られたものであろう。素材(文字型)が同じなので、判断に困らされて来た訳だが、製造技術がそれを語っている。

 幕末明治初期の密鋳天保銭に、これと同じ作り方をした品を見たことがあるだろうか。存在数の少ない銭種でも、それなりに多くの枚数を作ろうとした意図が見える筈だが、この品にはない。せいぜい数十枚から数百枚の範囲しか見ていない。

 こういう意味で「絵銭」だというのだ。これは印象ではなく検証(実証)を踏まえて言うことなので念のため。コレクターはとかく印象で貨幣を語りがちで、それと同列に見られては困る。実証を伴わぬ見解に意味はなく、ただの想像だ。

 もう少し素材があれば、使用器具を特定でき、製造年代により一層近付けるとは思う。それは地元の研究者や収集家の仕事になる。 

 

注記)日々の所感として書いており、一発書き殴りで推敲や校正をしない。表現に不首尾は多々あると思う。 

 ちなみに、これの引き取り(継承)手が出なかったのは不思議。これ一枚で、丸ごと「称浄法寺鋳放銭」を論破できる。逆に、そのことでB半仕立て群の位置が上がることになる。B群は「本銭と大きな違いはない」し、「反玉」と製作が酷似している。