日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々1/27 「しぶといひと」

病棟日誌 悲喜交々1/27 「しぶといひと」
 朝、早めに病院に入ると、ロビーに先輩患者のNさんがいた。
 「今日は年に一度の全身の検査なんだよ」
 傍らにはステッキが置いてある。
 視線を感じたのか、Nさんの方から話した。
 「また足が悪くなり、どうやら親指を切ることになりそうだ」
 腎不全患者の宿命で、動脈硬化の進行が避けられぬから、いずれ指だけでなく足を切られる。
 「親指だけで済むなら、ラッキーかもしれんですね」
 健常な者がこれを言ったら、怒鳴られるし憎まれる。
 だが、当方にはNさんと同じ症状があり、いずれ同じ道を歩む。
 「自分のこと」として眺めているのは、相手にも伝わる。
 
 「確かに。杖は必要だが、ぎりぎり自分で歩ける」と、Nさんは頷いた。
 実際には、足の小指が一本欠けるだけで、まともには歩けなくなる。普段は存在していることすら忘れているわけだが、実は重要な機能を務めている。
 「人間にもいるよな。組織の中ではまったく目立たぬが、この人一人がいないと回らなくなる」と思った。

 治療が終わり、食堂に行くと、車椅子に乗った「お茶屋の小父さん」がいた。風貌がお茶農家の親父さんなので、勝手に心の中でそう呼んでいる。
 「うわあ。この人はまだ生きていたのか」と驚いた。
 この病棟はほぼ終末病棟だから、どんどん新しい人が来ては去って行く。
 最初は立っているが、じきに車椅子で来るようになり、入院病棟に移ってベッドで来るようになり、ふっつりと姿を消す。
 車椅子までの期間は人それぞれだが、車椅子に乗るようになると、その後は概ね余命三か月が普通だ。既に多臓器に損傷があるから、長くは持たない。
 「お茶屋の小父さん」が車椅子に乗ったのは、もう一年は前のことだ。
 時々、入院病棟に姿を消していたが、想像を超えるしぶとさだ。

 お茶農家の作業は重労働と言うわけでもなさそうで、これが長生きに役立っていそう。
 建設など重労働の人生を送ると、この病棟には来ない。心臓などそれ以前の病気で死ぬ。
 デスクワーク主体の人生を送っていると、来てからが早い。
 基礎体力がないので、抵抗力が弱い。
 軽労働を続けていたり、適度の運動を心掛けていると、実際、内臓に損傷が出来た後でもその後がしぶとい。
 「運動はやって置くべき」だというのは実感として分かる。
 だが、重いのは逆にダメージになるから、鍛え過ぎはダメだ。
 ジョギング程度を長く続けるのが、長生きには役立つ。
 「ま、生きること自体が目的ではないわけで」

 今回、「お茶屋の小父さん」の名前を始めて知った。
 「Tナカさん」と言うらしい。
 車椅子を押していたのが、娘さんだが、この人が七十歳前後だから、「小父さん」は九十歳くらい。
 「コイツはすげーな」
 だが、食べ物を呑み込むことがしんどくなっているらしく、食事を戻していた。
 これが「齢を取る」ということで、高齢者の多くが誤嚥性肺炎で死ぬ。
 娘さんが「もうお粥にしないとね」と言うと、「小父さん」は「嫌いなんだよ」と答えた。
 いいねえ。あくまで我流を通す。
 食えなくたって、俺はこっちなんだよ。

 この人の後ろには、「母親のような女のひと」が立っている。
 あくまで「母親のような視線で眺めるひと」であって、「母親」ではない。
 たぶん、これも長生きの要因のひとつだと思う。
 あの世の味方は、手を出して助けてはくれぬが、心を支えてくれる。闘病生活には、この「こころ」の維持が重要な鍵を握る。
 ちなみに、肉親が死後に子や孫を見守るケースはほぼ無い。
 愛情は執着に結びつきやすいので、仮に傍に居残るのであれば、それはあまり良いことではない。
 テレビに出る自称霊能者に「亡くなったお爺さんが」「お母さんが」を連発する人がいたが、ウソッパチだったと思う。
 愛情は執着心に近いところにあり、執着は悪心に変わりやすい。男女の情が分かりやすいが、愛情が執着に替わり、執着が満たされぬと憎悪に替わり、相手を傷つけるようになる。
 仏壇で死んだ肉親に手を合わせる時には、「ずっと私たちをお見守って下さい」と願ってはダメだ。「私たちは大丈夫ですので、どうか先に進んでください」と祈るのが正しい。
 執着を解き、先に進めば、今生とは別の人生が開かれる。
 生まれ変わるには、執着を解き、魂を解放する必要がある。

 色々と考えさせられる日だった。
 この日の病院めしは「魚のフライ」っだったが、オレンジがきれいに並んでいた。
 一昨日は、ヴェトナム人研修生が休みだったらしい。
 この子たちの「こころ配り」にはその都度感動させられる。
 たぶん、「こうしてあげよう」とは思っていない。
 感謝や賞賛のないところでの振る舞いが見事。

 

追記)この日、介護士のバーサンが、突然近寄って来た。
 「ねえねえ。青森の人だっけ?恐山にはどう行けばいいの?」
 「途中まで電車で行って、その先はバスかなんかがあると思いますね。俺は岩手なんで詳しいことは分かりません」
 「一回恐山に行ってみたいんだよね。それと不老不死温泉。吉永さんがCMに出てたとこ」
 「そりゃいいですね。イタコに口寄せして貰えれば仏さまを拝む気になれます」
 すると、タマちゃん(五十台)が、「あれ?行ったことがないんですか。俺はまた恐山みたいなとこなら、行ったことがあるんだろうなと思ってました」
 ああ、ユキコさんとは普通に幽霊話をしていたから、それを傍で聴いていたわけね。バレたか。なら仕方ない。
 「俺が霊場みたいなところに行ったら、帰りには二十体三十体連れ帰ることになるんだよ。行くわけないだろ」

 不老不死温泉にも行ったことがないが、あそこの露天風呂は確か混浴だったよな。
ま、ジーサンバーサンなら相手の側が視線を外すだろうとは思うから大丈夫。