日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 4/4 「ゆかりとのぞみ」

病棟日誌 悲喜交々4/4 「ゆかりとのぞみ」
 先週の検査結果が続々届いたが、総て「異常なし」だった。潜血反応なし。
 心臓は肥大気味だが、これは二十台の頃からだ。いわゆる「スポーツ心臓」というヤツだ。私のはスポーツではなく、しんどい労働によってそうなった。結局は少年の時に担いだ黒豆の俵が体に刻印されている。

 今は「半年後にも自分は生きている」と感じる。
 これはこの七年ではなかったことだ。その頃は平地を五十㍍歩くごとに立ち止まって休む状態だったから、とても来月のことなど信じられない。二階への階段が登れず、居間に寝袋を敷いて寝た。
 心臓自体は十数年前に冠状動脈が全部塞がった時が最底辺で、そこから徐々に持ち直して来た。その間、別の臓器が次々にイカれたわけだが、唯一、心臓だけは改善されて来たと思う。
 たぶん、腎臓が悪いせいで、血液が固まり難くなる薬を多用する影響もあると思う。もちろん、食事制限も。

 半年の時間があれば、「計画」が立てられる。
 これまで幾度となく「今年はこれをしよう」と決意しては、その都度挫折して来たが、それも「日に一時間机の前に座っていられない」ことが原因だった。
 だが、今は通院の無い日なら三時間は座っていられる。

 「では今日、願を立てよう」
 まずは昇龍作品から、版下まで進んでいた赤虎シリーズを一冊書籍にする。
 これはクラウドで版下を作成したのだが、クラウド以外ではファイルを開けられないことが分かり、頓挫していた。これはこのサービスを提供するヤツの頭がおかしい。版下を作成して出版社に渡してもファイルが開けない。
 最初から作り直すことになるが、コンテンツ自体は出来ているから、作業的な要素だけ。金があればスタッフを雇えるが、ま、これは成り行きによる。ゆっくり作業しつつ、もう一つ短編を追加して秋口には電子書籍に。

 もうひとつはノボル作品で「二月の雨」系列の話を書籍化する。こちらは「えにし」がテーマだから、割と素材が揃っている。盟友のコウちゃんや幼馴染のケンゾーの生き様死に様をようやく描ける。プロットは山ほどあるわけだが、やはり人生に「無駄な努力」は存在しないと実感する。
 「シンカの女」もここに入れる。ひと月に一編ずつ追加して行き、十話揃うのは十月頃。

 もう少し先の話になるのが昇龍作品の「花のごと」だ。こちらは、まだ一編しか書いていないので、「今年の内に形をつくる」というスケジュールになりそう。
 ライフワークなんだし、慌てず丁寧に進めればよい。歴史ものは調べるのに手間がかかる面もある。プロット自体はこの数年書き溜めてある。

 これからの人生のテーマはこの三つだ。二つまでは秋には目途が立つわけだが、三つ目が問題だ。たぶん、年を越し、来年の春先が目標スケジュールになる。今は状態が良くなったが、来年の話など、さすがに鬼が笑う。
 それでも、「目標を立てて、それに向かって進む」のは、気分がよい。途中で斃れることになるかもしれんが、前を向いて斃れることが出来る。

 私ごとを連ねて来たが、その目的は「これら総てが『お稚児さま』効果」だということを報せることにある。
 小鹿野で会った少女二人については、便宜的に「ゆかり」と「のぞみ」と言う名を付けた。これは今後も対話をしていくためだ。
 長い間、私の傍には「ゆかり」だけがいたので、心中には恨み言や怒りが満ちていた。私自身が「因果応報」を説く陣営にいて、死後はその仲間になるから当たり前だ。
 何年もの間、台所に立つ時に「カウンターの陰に女が立つ」ことを記録して来たが、今は状況が少し変わり、女は「隣に立つ」ようになっている。着物を着た女で背丈が私より少し低いので、少女であり、かつ今はそれが「ゆかり」だと思う。
 この状態が幾年か続いて来たわけだが、今年の一月に「のぞみ」に会った。この子の表情を見る度に、前向きな気持ちになる。
 今は「なるほど、両方が必要なのだ」と思う。
 今後は、左手は「ゆかり」、右手は「のぞみ」と繋いで生きて行こうと思う。

 私は常識のない人間だが、それはどうやら普通の人とは「別の世界を観ている」ことによるようだ。
 このことは、私が一度「心停止した」経験があることと無縁ではないと思う。
 自分に天命があるとすると、それは「ゆかり」たちの救済だと思う。五十年以上に渡り、亡者の群れを見続けてきた理由はそこにある。今は群れの真っただ中だが、救いを求めて数多くの亡者が寄り憑く。

 この齢にして、初めて天命を知ったが、それも「お稚児さま」効果のひとつだ。

 「のぞみ」の顔を見た瞬間に、総てが一変した。これで、前を向いて死ねる。

 

 このブログは、私の観ている世界に近いものを見ながら生きている人のために残している。

 この数年は常に五人くらいの視線を感じて来たが、最近はそれが十五人くらいに増えた。

 今、その人たちに問う。

 「君たちはゆかりやのぞみに会ったか?」

 もし会っていないなら、時々、私が開示した画像を見て、慣れて置くとよい。

 じきに声が聞こえ、いずれは目視するようになる。そしてすぐに眼が開く。