◎病棟日誌 R060604 「薬膳カレー」
火曜は通院日。
この日の担当医はK大出の女医だが、対症療法的に何でもかんでも薬を出そうとする。症状が出る毎にすぐに薬を飲んでいると、その薬の害の方が大きくなるので、「要りません」と答えている。あるいは、最初から何かしら症状があっても、別の医師の時に話すことにしている。
結局、火曜の女医については、ひと言で言えば「信用していない」ということ。
これが医師の方でも何となく分かるらしく、最近は「変わりありませんか」の声かけなしに通り過ぎるようになった。
さぞムカついていると思うが、この方が助かる。
内心では「オメーの言う通りにしていたら半年持たない」と思っているからだ。
数年前、稲荷の障りに苦しんでいた時にも、真っ先に「心臓のカテーテル治療を受けて下さい」と言った医師がコイツだ。
ちなみに、心臓の疾患は幾度も経験があるので体感的に分かるが、この時、心臓自体には何ひとつ問題が無かった。見た目の症状が「そんな風に見える」だけ。
当方が「今の症状は心臓由来ではないですよ」といくら言っても、手術を勧め、強い薬を処方しようとした。
その通りにしていたら、とっくの昔に死んでいたと思う。
さて、看護師のキム君が「最近、来るのが早いですね」と言う。
「今は毎日朝夕、家族三人の送り迎えをしているからね」と答えた。
するとキム君は、「それじゃあ、足で使われているんじゃないですか」と対応した。
言い得て妙だ。
これが日本人と韓国人の考え方の違いを表わす格好の事例だと思う。
朝夕、家族三人の送り迎えをするのは面倒で、それから家に帰って自分の仕度をするより、先に仕度をして送り迎えをし、そのまま病院に来るから登院が早い時間になる。
もちろん、負担になるし、自分の時間を詰める必要がある。
だが、それは「家族の役に立っている」ことだと思う。
「割と大変だ」愚痴は言いこそすれ、心底よりの不満はない。
当方は障害者だし、家族や社会に支えて貰っているから生きていられる。率直に言って、自分は「もはや無用の存在だ」と思う。
だが、こうやって何がしかの役に立てれば、それは嬉しいことなんだよ。
これを「家族に足として使われて」みたいな被害者意識を持つのが、韓国人流の考え方だと思う。
物事には必ず二面性がある。実際には「多面性がある」で、見る角度を変えれば如何様にも見える。
それを自分中心の見方でだけ思考し、「損をしている」「被害を受けた」と言う考え方をすると、おのれの人生が他人に足蹴にされ、やりたい放題にやられているように見えて来る。
韓国人一般の「とにかく金と見てくれが重要。家族よりも」という「哀れでみじめな生き方」は、そういう土台的な発想から来ている。
この日の病院めしはカレーだった。
いつも記す通り、ここのカレーは美味い。理由は分らぬが、とにかく美味い。辛くもなく、母ちゃんカレーの味わい(ノスタルジア)でもないのだが、何だか美味い。
香辛料については、ターメリックを入れているのは分かった。
ターメリックはウコンだから、要は薬膳だ。
たぶん、数種類を選択した、その香辛料が薬膳素材だということだ。
病人は健康に寄与するか、あるいは自分の体に必要かどうかについては敏感で、体感的に分かる。
食の細い患者のトダさんでも、「ここのカレーの時は食べられる」と言っていた。
レシピを訊いた方が良さそうだ。