日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 R060810 「見えぬ人もいる」

病棟日誌 R060810 「見えぬ人もいる」
 朝の検量は介護士のバーサン。名札が無いので名前が分からないが、この病棟では患者の入れ替わりが激しいので名前を覚えぬのが慣習のようになっている。数年顔を見ていても名前を知らない。患者だけでなく看護師の名前も憶えない。名札があれば見るので、こういう細かな決まりを守るのは重要だと思う。
 ま、そもそもこの病棟は高齢者だらけなので、もはや人の名前が覚えられぬ人ばかりだ。
 「お名前は?」
 「宇野重吉です」
 周りのオバサン、オヤジ看護師から、一斉に「知ってる」と言う声が掛かる。
 バーサンは「その人は確か『砂の器』に出ていたっけ」と言う。
 えええ。宇野重吉さんが「砂の器」に出てたっけか?
 記憶にないぞ。刑事役?
 あるいは、バーサンは似た風貌の役者さんと間違えたかもしれん。それなら笠智衆さんか加藤嘉さんあたりか。
 たぶん、加藤嘉さんだな。
 あの映画で咄嗟に思い出すのは、加藤剛さん、丹波哲郎さんと、十秒の演技でナタで切り込んで来た加藤嘉さんだ。
 当方は姫神山の西の入り口で育ったから、修験者が頻繁に家の前を通った。修験者とかお遍路さんとかの装束を見るとドキッとする。父子で放浪し・・・の場面で眩暈がした。
 「感動作」過ぎて、また観ようと思わぬくらいだわ。
 あの映画は加藤嘉さんの代表作だと思う。
 野村芳太郎監督は、「心臓をひと突き」系の映画を好んで撮っていた。

 ウエキさんが去ったら、病棟が静かになった。
 声の通る騒がしい系のオバサンがいないともっさりする。
 冗談を言える相手だったから、当方は正直寂しい。
 小学校の時に、同じ班で文化祭の行事を共に一緒にやった女子が、翌週、急に転向した、みたいな欠落感がある。
 (やや回りくどいか。)
 「死にそうになると看護師さんが天使に見える」と言うと、間髪入れず「いつもそう思っててね」と帰って来たっけな。
 やはり常識的なものよりも、煩いくらいキャラが立っている方が人間は面白いわ。合わない者はまったく合わぬだろうけど、分かりやすい。
 患者の線を越えて、一回くらいお食事に行けばよかった。
 
 この日の問診はユキコさん。
 飯能在住なので数日前の豪雨について話をした。
 前に同じような豪雨をそこで経験したことがあり、数分で橋が流されそうになった。その時には冠水した家が何軒もあったらしい。
 その話の途中で、高齢男性が畑で働く姿が思い浮かんだ。
 「ああ、ユキコさんの田舎のお父さんだな」と思った。
 ならもう仕方がない。
 予備のお稚児さまキーホルダーを出して、「父ちゃんに送って」と渡した。家を出入りする度に見ていれば、畑で倒れずに済むと思う。家の中なら自分で救急車を呼べるかもしれん。
 もちろん、そんな小さい変化は、「信じる」ことで生まれるからあとは本人の問題だ。
 だが、この時、ユキコさんが告白したが、ユキコさんにはお稚児さまが見えないらしい。
 「どこにいるんですか?私には分からないのです」
 おお。十人のうち二人くらいは「お稚児さまがまったく見えぬ人がいる」と思っていたが、実際にそうらしい。
 視角は「光を選択的に見る」から、外界はその人なりの見え方をする。当方は物の反射光と、それが空気中をどう進行するかを眺めるから、もし歪みがあれば全体の中でそこだけ浮いて見える。
 お稚児さまの時には、窓ガラスの前に立った段階で違和感を覚えるのだが、写真を撮影して違和感を感じたポイントを注視するとすぐに子どもの姿が浮かんで来る。
 「ここにベンチがあって、そこに膝を着いていて、女の子が振り返ってこっちを見ている」と説明したが、それでも子どもを発見することが出来ないらしい。

 もしかすると、「見えない」人はもっといるのかもしれん。
 岸田の本質が見えぬ者も2割くらいいるわけだし。岸田と似たような世界観を持って外界を眺めていれば、違和感を感じない。
 眼に入っていても、それを対象物として認識出来ないわけだ。
 「問題が見える」ことで気を配る必要性が増え、煩わしいことが増える。だが見えぬのであれば、そもそも気にならぬから、安倍元総理のスピーチ原稿をそのまま読んだところで、本人的には何の問題もない。
 弊害が幾ら指摘されても、移民政策を止めぬし、中国人の留学生の学費どころか生活費まで面倒を見る政策を数兆円規模で継続しようとする。日本人の大学生は奨学金の返済に追われている者が沢山いるのにな。
 ま、それも岸田にはまったく見えないから、自分尾考えが正しいと信じて突き進む。
 轢死が教えてくれる通り、愚かなトップを戴くと一代で国が亡ぶこともあり得る。
 岸田の支持層は「コロナのダメージが無く、円安の恩恵を受けた層」で、これはコメをよく読めば分かる。
 世の中には「それが見えぬ人もいる」。