◎病棟日誌 R060523 「体が重い理由」
今日は通院日。ベッドにいると、テレビが中尾彬さんの訃報を伝えていた。
報道では、中尾さんが最初に重病に罹ったのは65歳の時で、数年後に生死の境まで行った。亡くなられたのが81歳。
発病から十五六年後だ。
「俺が心不全で倒れたのが五十歳の時。そこから十五年だと・・・」
ううむ。身体の劣化速度が同程度だとすると、もうすぐだわ。
だが、もう幾年もの間、毎年のように「もはやこれまで」と思う事態に陥っている。
病気の場合、ある段階まで来たら、仕事などを放り投げて、闘病に専念すべき時が来る。まだ決定的に具合が悪くなってはいないが、なってからではもう遅い。体力に余力がある内に、仕事や付き合いなどを捨てて、身を軽くする必要がある。
敵が病気だけになると戦いやすい。
経済的な問題などがのしかかるわけだが、そんなのはどうにかなる。死んだらおしめえだわ(渥美清さん風)。
今日の問診はユキコさんだった。
最初に血圧を測定すると、130台。ま、普通だわ。
ところが、すぐに定時(九時)の血圧を測定すると、190台に跳ね上がっていた。
「※※さんは、時々、血圧が乱高下しますね。体調はどうですか」
「別に何ともないです」
「昨日、幽霊を拾って来たりしていませんか?」
ブラックジョークのつもりらしい。
ユキコさんは、当方が長らくN湖に通い、浄霊を施していたことを知っている。その近くにに住んでいるので、前に説明した。
こういう時には率直に答えた方が話が早く進む。
「数十人くらい引き連れていたのですが、ご供養を重ねているうちにだいぶ軽くなりました。一時は能仁寺の坂を上るのが難しかったほど」
「今はどれくらい?」
「十数人ですね。これがいなくなると、お稚児さまが心を軽くしてくれます」
ユキコさんには、お稚児さんの画像を見せたので、理解が早い。
「寄り憑いたのは自分で外す必要があるけれど、これを外せば心に青空が拡がります」
ただ待っていても幸せは来ない。自ら歩み寄る必要がある。
喘息症状が治まって来たので、じきに血圧の乱高下も出なくなる。生体機能に原因はなく、下手に薬で抑え込もうとすると、良からぬヤツらの思う壺だ。
あと少し。平地は無難に歩けるようになって来た。
帰宅したら、スピリットボックスが届いていた。
案外ちゃちい。単に特定の周波数の音波を拾うだけのものかもしれん。当方がこれを売る側なら、時々その周波数で声を放送する。
「助けて」「死ね」「苦しい」
これだけで、買ってみるオマヌケが増える。当方もその一人だが、ソコソコ検証出来る。日常的にあの世を観察しているが、実際には最も疑っている者の一人でもある。