日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信 廃病院の女

追加)3枚目以降は昨年11月の「閉鎖病院の事務棟」

◎霊界通信 廃病院の女
 昨夜、居間の床に寝そべり、考え事をしていると、目の前に「女の頭」が現れた。
 顔がぐちゃっと崩れており、もちろん、人間ではない。
 幽霊は、時間の経過と共に自我が崩壊していくが、外見はそれと共に崩れて行く。顔が崩れていたら、生身の人間なら迫力があるが、幽霊の場合は「普通」の話だ。
 黙ってると自我(自意識)が消えてしまうから、必死でそれを保つべく、他の幽霊や生きた人間にしがみつく。

 女の顔は崩れていたが「どこかで見たことがある」と思う。
 たぶん、病院にいる患者だ。
 外見の印象は三十台から四十台だが、実際に死んだのは八十前後。
 一体、コイツを何処で拾ったのか。

 数日前、娘を迎えに駅まで行く時に影が余分に出ていた。
 街灯二つの中間にいたから、影は二つ出るのだが、それ以外にもうひとつ。遠くにある別の街灯の光のこともあるから、普段はそれほど気にしないのだが、三つ目の影の起点が私の足元ではない。そこで、その場に立ち止まりよく観察した。
 影は必ず本体(私)に接しているから、離れているのは「私ではない」ということ。

 振り返って後ろを見るが、誰もいない。
 前に向き直ると、普通は「影が消えていた」という展開になるのだが、どっこい今回は三つ目がそのまま出ていた。
 私より小柄で細いから、たぶん女だ。
 「玄関まではいいが、中に入るなよな」と命じたのだが、やっぱりついて来ていたらしい。

 その日から右足の親指がズキズキと痛む。
 傷が塞がり、保護していれば問題は無い筈なのに痛みだけがある。そこで昨日、看護師に「たぶん、神経損傷の影響なのか、酷い痛みがある」と報告した。
 家でロキソニンを探して、もしなかったら処方して貰う必要がありそうだ。

 これなら必ずどこかに足跡があるに違いない。
 最近のセルフチェック画像を確認すると、八月の頭の時に「右半身が透けている」ものがあり、その煙玉の中を注視すると、その女が顔を出していた。
 その頃には、もはや私にたかっていたわけだ。
 なら、一体どこで女に見付けられたのか?

 女は明らかに病院にいた者だから、通院している病院なのか?
 ところが、「営業している病院」では、ほとんど幽霊は出ない。霊安室の周りに少し異変(煙)が出るくらいで、幽霊は院内をうろうろしていない。これは病院が「そこに執着する場所」ではないことによる。入院患者は「早く出たい」と思うものだが、幽霊も同じ。居心地が悪い場所だ。
 病院とかお墓は、取り扱いを疎かにしていない限り、実際にはかなり清浄な場所で滅多に幽霊は出ない。出るのは疎かにしたりなおざりにする場合だけ。営業している病院に幽霊は出ないが、しかし廃業した病院には出る。これは生き死にが起きる場所に幽霊が集まりやすいという傾向による。廃病院で患者の幽霊が出るかもしれぬが、そこで死んだ者ではない方が多いと思う。過去に生き死にが起きたから、その気配を感じ取って幽霊が寄り集まる。  

 なら、この女はどこからだろ? 
 「病棟の入り口には、末期患者がよく来るが、その前を通り過ぎる時に無意識に視線を合わせていたかもしれん」
 私が眼を向けていなくとも向こうが見ていたかも。それなら、死んだ後に行き場所が無く私を頼ったかもしれん。
 あれこれ考えたが、サッパリ想像がつかない。
 そこでもう一度画像を見直し、「前にどこで会ったのか」を考えてみた。

 すぐに分かった。
 なあんだ。廃病院の事務棟だわ。
 最近、その病院に二度通ったが、駐車場に車を入れられず、元の病院跡地の傍の駐車場まで行った。
 そこから病院まで歩く途中にその事務棟がある。今はただの空き家だ。
 さすがに前回で懲りたので、事務棟の前を通る時には、なるべく二階に眼を向けぬようにした。「視線を合わせぬ」のが大前提だ。

 ブログで画像を公開する時に、必ず眼にマスクを着けるのは、「眼の中を覗き込まれたくない」という理由だ。ちなみにPCやスマホを見る視線でも接点は生まれる。 

 時々、「覗き込むな」と記すのは、双方が過敏になることがあるためだ。
 (ま、大半の人が「見えない」ことが最近分かった。こういうのは逆に、見えるのが前提の者には分からない感覚だ。)

 前回は事務棟を通り過ぎる時に、「二階のカーテンの後ろで女が見ている」ように見えたのだが、その日の夜には両足の指が三本ずつ壊死を始めた。指先が黒くなる。

 翌日にはまともに歩けなくなった。
 このひと月に二度事務棟の前を通ったが、「俺はお前に関わりたくないし、関わるつもりもないんだよ。助けられぬし、助けるつもりもないから、俺に寄り憑くなよ」と宣言して通り過ぎた。だが、やっぱりついて来ていた。
 先方からすれば、影を見せても、画像に顔を出しても、私がまったく気付いてくれぬので、ついには顔を出した、ということだ。

 「事務棟の女」がまたより憑いたと分かったので、この事実を記載して、お焼香を施すことにした。たぶん、何か所かのお寺に連れて行く必要があるかもしれん。
 満たされぬ思いがあるから幽霊になっているわけなので、慰めているうちに安らぐかもしれん。

 本題はここから。
 幽霊と接触すると、煩わしいことが増える。
 おまけに自分以外はそれを理解出来ない。そもそも「死後の存在」があることを信じぬ者は眼の前で見ても認識出来ない。
 たぶん、障りを受ける方が多いので、あの世に触れるのはせいぜい怪談くらいで止めとくのが無難だと思う。
 「一方、あの世の者との縁(関わり)が分かってしまうと、それだけで解決できることもある」
 朝からお焼香をしているが、足指の痛みが一瞬で消えた。
 そもそも私が生きていられるのは、「常に自分の直感を信じる」ことによる。

 おまけだが、上の鍵かっこ(「」)の個所を書いた時に、サイド電話が「プリン」と鳴った。いつも記す通り、この電話は電源が入っているが、回線とは繋がっていない。

 たまに当たり馬券を教えてくれるのでそのままにしている。

 

追記1)上の画像をFBにも載せたのだが、「過激な内容が含まれているので公開差し止め」になった。AIの判断だろうから、「二枚目がチン※にでも見えたのか」と思ったが、差し止めは最初の窓ガラス画像の方だった。

 あるいは、「公開して欲しくなかった」のか。だが、画像であれば、この世の者の扱う範囲だ。

追記2)事務棟二階のブラインドが半開きになっている画像は、今見ても気色が悪い。

 前を通りかかった時の嫌な感じ(気配)とその日の夜に両足の親指と人差し指が黒く変色して、腐りかけたという苦い経験があるからだ。

 はっきりと顔出しをしているケースでは、あまり悪影響が無いことが殆どで、気配があるが、ひたすら姿を隠そうとしている時には、たちまち障りが生じる。

 ちなみに私は女の顔の表情も、その後ろにいる者も全部見えるのに加え、心の中が透けて見える。もちろん、他の人には理解出来ぬので妄想の世界と思われるし、その人には実際そうだろう。

 これは既にあの世のルールに準じるものだ。

 あの世(幽界)では、外界は主観的に構成される。当事者の観たいものが見え、目の前の現実として現れる。他の者は各々その者なりの世界を見るが、めいめいに現れる外界は虚構ではなく現実だ。