日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

歴史は生きている

母の生家は岩手県の玉山村(現盛岡市玉山区)の渋民・門前寺というところにあります。

昨日、たまたま「北奥路程記」(漆戸茂樹筆、岩手県文化財愛護協会編、平成14年)に眼を通していたところ、この門前寺という地について記したくだりを見つけました。
ちなみに、この書は江戸後期に盛岡藩士の漆戸茂樹が、盛岡以北の領内を巡り、見聞きした名所旧跡・寺社の様子を記したものです。

鵙逸(市)村 家九軒  注)鵙逸は「もずいち」と読みます。
此村より畑中館山の下を行き、北上川へ下り大簗あり、御国第一の簗にて大漁あるところなり、此村を門前寺と唱う、本名は鵙逸なり、村の向こう玉山川土橋、これを濁川とも言ふ

母が子ども時分の昔語りをしてくれたことがあります。
昭和二十年頃までは北上川に簗がたくさん掛かっていて、母は毎朝、自分の家の簗に魚が上がっていないかを見に行くのが日課でした。
もちろん食事のおかずにするためですが、当時、川に簗を掛けるには権利が必要で、どの簗がどの家のものかはっきりと定められていたそうです。
江戸時代から昭和20年代までの何百年かの間、北上川がもたらす豊富な幸に、人々の生活が支えられていたわけですね。

戦後、松尾鉱山の排水を流す赤川が北上川に合流したために、この簗は使われなくなったようです。
水が真っ赤で魚が棲めませんでしたので。
今は松尾鉱山が閉山し、さらに鉱山から流れ出る排水も中和されるようになり、北上川の水はきれいになっていますが、簗は掛けられていません。
魚自体昔よりはるかに少なくなっていることもありますが、簗という漁法が禁止になっているからです。

七月、八月の季節限定で、この「御国第一」と謳われた簗漁を復活できないものかと思います。
夏の風物詩ともなれば、愛郷心の源となり、観光資源としても価値があるように感じます。

30~40年位前までは、旧盆の「舟っこ流し」や秋祭りの山車も行われていましたが、今は絶えて行われなくなっています。
聞くところによると、奉納相撲大会も「見物人が少なくなった」という理由で、行われなくなっているとのことです。
何か寂しい話です。