日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

表現が適切ではない

 行政刷新会議(議長・鳩山首相)の「事業仕分け」に関連し、「行政の無駄遣いをなくす」という表現が多用されていますが、あまり適切ではないですね。
 行政施策の場合、投資に対する利益といったような構図にあたる「直接的な効果」を求めるものばかりではなく、間接的な効果、波及効果を狙うものもあります。
 それを一概に「無駄」と表現するのは、果たしてどうでしょうか。

 自民党を支えてきたのは官僚主導政治で、建設マネーが後ろ盾。税金による公共事業の金が、政界に還流します。 
 これに対し現在の政治は、政商・巨大流通資本が支えることになります。この辺、「無駄をなくす」も商人流の発想ですので、その意味では筋が通っています。
 国民生活を守ることを謳う民主党政策では、なぜか貿易だけ自由化を促進しようとしています。
 不思議ですが、「商社政治だから」と見なすと、やはり首尾一貫しています。

 明治維新の時には、政治の転換期でゴタゴタが絶えない状況を利用し、政商が資産を倍増させました(数倍ではなく数十倍)。それと同じで、これからしばらくの間は、流通系資本が幅を利かす世の中になるのでしょう。
 これからは「お客様のため」と同じ意味の「国民のために」のキャッチフレーズを、さんざ聞かされることになるのでしょう。
 もちろん、その本質はあくまで企業が儲けることだってことです。

 澱みだらけの自民党政治は変わる必要があり、政権が民主党に移ったけれど、だからといって何でもOKなわけではなく、やはり間違いは間違い。
 正しくは「無駄をなくす」ではなく「合理化する」ですね。
 相手の心を踏みにじるような言い回しは、敵を作り自らの首を絞める結果を生みます。

 自民党が下野することになったのは、竹下内閣以降の政治の流れで、とりわけ小泉手法(「改革か否か」の踏み絵・レッテル張り)が遠因となっているのですが、民主党も早々にこの調子では先が永くは無かろうと感じます。
 2年以内に何か不手際があり、その際にはオザワ氏得意の分党作戦が始まるだろうと見ています。なぜオザワ氏が分党するかというと、オザワ氏も自民党と同じ建設マネー系政治家だからです。