日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第165夜 国道の脇で

目を開けると、そこは国道の脇でした。
「あれれ。ここは」
この風景には見覚えがあります。
 
子どもの頃に住んでいた家の近くですね。
正面には、その家が見えています。
ここは国道4号線。
道路がまさにこれから舗装されようとするところなので、昭和38年くらいでしょうか。
東京五輪の前後は、日本に最も活気があった時代で、毎年、新しい建物が建ち、道路が広く舗装されました。
 
「て、ことはオレは幼稚園児?」
両手広げると、やはり小さな子どもの手。
でも、自意識的には、自分は小学生くらいの感じがします。
この辺、50年近くも前のことなので、既に記憶が揺らいでいます。
 
道の脇に立って、自分が何をしているのかを思い出そうとしますが、どうにも思い出せません。
「はて。オレはなぜここにいるわけ?」
目の前の道は、さすが五輪直前、高度経済成長の真っただ中で、大型トラックが頻繁に行き来しています。
前を通り過ぎる度に、地響きが起こります。
数分のうちに、何台か通り過ぎるので、向こう側に渡るのも大変そうです。
 
「オレってなんでここにいるわけ?」ともう一度自分に問います。
右手には、はるか遠くにトラックの姿が見えてます。600㍍は先だから、あと1分くらいですね。
ここで、自分がここに立つ理由を思い出します。
「あ。オレって肝試しをしに来たんだっけな」
 
交通量が多く、道路を渡るのもままならない。
トラックの合間を見計らい、エイヤッと飛び出さないと、途方もなく時間がかかります。
その「エイヤッ」と走り出す時の心持ちには、どこか快感があります。
それがきっかけとなり、子どもたちの間では、トラックが行きかう幹線道路を横切るという度胸試しが流行っていました。
 
トラックは次第に近づいてきます。
「まだ。まだ」
だんだん車の姿が大きくなってきました。
あと200㍍。あと100㍍。
「さあ。今だ!」
道に飛び出しました。
走りながら、トラックのほうを見ると、運転手が慌てふためく顔がよく見えていました
 
しかし、道路を渡る途中で、体の右側に棒で叩かれたような衝撃を感じます。
どおん!
ところが、オレの体はトラックに撥ね飛ばされ・・・ずに、道路を渡り切っていました。
あの当たった感触は何だったの?
 
道路の反対側に立って、国道に向き直ります。
さっきのリアル感を反芻しているうちに、あることを思い出しました。
「ここって、〇〇ちゃんが撥ねられたところじゃん」
なるほど。あの感触は〇〇ちゃんが経験したことでしたか。
 
ここで覚醒。
これと同じ夢を幾度となく見ました。
子どもの頃、トラックがかなり近づいてから、国道を走って渡る行為を、実際にやっていました。
「どおん」と何かに当たったような感覚を得たのも、実際にあったことです。
記憶はもはやおぼろげですが、自分は「昔、トラックに轢かれて死んだ」ことがあるような気がします。