日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

自分自身の姿を見た(その2)

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続きです。

家人のいた前の学校では、記念写真を撮ると、頻繁におかしなモノ(現象)が写りこんでいました。
たとえば、卒業式の間近になると、クラス別に講師室で記念撮影をするのですが、上の2枚はほぼ同じ位置で撮影したものです。

1枚目は何事もありませんが、2枚目には煙玉(いわゆるオーブ)状のものが写りこんでいます。
この学校の中で撮った写真では特に珍しいことではなく、頻繁にぼろぼろと撮れるもののようです。
1度、女子生徒のお腹の上に、大きな煙玉が出たのて、親が驚いて学校に駆け付けたということがあったとのことですが、「別に、いつも写るし、写ったからといって、別段の異常は起きない」と回答したら、納得して帰ったらしいです。
かなりの枚数があるわけですね。
また十個二十個と写りこんだものもあります。

さて、その学校の講師室に、別の勤務先に転勤となり、今はそこを訪れるはずの無い家人が現れたというのです。
なんとも説明がつきません。

ところで、家人が「窓の外に立つ自分」を見てから数日後、東京で同級生たちと会いました。
数十年ぶりの再会に、記念写真を撮り、フェイスブックに載せたのです。
すぐさま、友人たちが騒然となりました。
家人の右手首から先がぶれた時のように、消失していたからです。
「これって、心霊写真では」という話で騒然となったわけです。

家人には「手ブレなので気にすることはない」と答えたのですが、頭の中では「両手を組んでいて、右手首から先だけを高速で動かせる人間はいない」とも思います。
(その写真については、まだ解決していないので載せません。)
もし何らかのお知らせだとすると、右手に異常があるのはごく身近な人のことで、すなわちダンナのことである可能性が高くなります。
私の方は、しばらく前から、「程なく著しく体調を崩す」予感がありますので、それが現実になっては困ります。
もしお知らせ(お告げ)なら、生死に関わるような事態か、あるいは人間関係のトラブルがあることを教えているのはずですが、どちらにせよ嬉しくない話です。
(よって、あれこれ言われたくないので、他人には見せないという結論です。問題が無事解決したら、その後で載せます。)

さて、このところの異変に一体どういう意味があったのかは、1、2か月中にもわかると思います。
笑い話で済んで欲しいものです。