日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能)今日の高麗神社(13日目)

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7月5日土曜日は、息子と一緒に高麗神社の参拝へ行きました。
6月から始めた「百回詣」もこれで13日目です。
ちなみに、「お百度参り」とは違う考え方をしているので、「百回詣(もうで)」に改めました。

茅の輪潜りも、父親が先にやって見せるわけですが、他の参拝客も見本にしていました。
すっかり慣れてしまい、ごく自然な動きになっていると思います。
手慣れた振る舞いの方もおられますので(しかも前にも見たこと有)、この神社を繰り返し訪れている方も少なくないようです。
何か祈願することがあるのですね。

息子の方も、神社のお参りには慣れており、茅の輪以外の手順は熟知しています。
境内に入ったところで、古銭を渡し、「帰りには、自分の好きなところで厄を祓え」と告げます。
厄祓いは、他人に見られてはダメなので、帰りには視線を向けません。

帰り際に、鳥居を潜った後で、家人に見せるべく息子の写真を撮りました。
2枚撮ったら、2枚目に煙玉が写っています。
煙玉自体は自然現象(か半自然現象)なので、ごく普通の出来事です。

前にたまたま他の人のブログを見たら、「オーブ(ここで言う煙玉)は雨粒に光が反射したもの」と、バカなことを書いていました。
小中学で物理を真面目に学んで来なかったのでしょう。
通常のシャッタースピードでは、雨の落下速度んあると縦線で出るかどうかというくらい。
それも光学写真の話で、デジカメなら基本的に写りません。
もしシャッタースピードを上げて、雨粒を撮影出来るようにすると、写真が白玉だらけになります。

空気中の埃に光が反射して、白く見えることがあります。
カメラのレンズ面に細かい結露が生じて、大きな玉が写ることもあります。
その他にも色々と理由のある玉が写ります。
また、よく分からない理由で煙上の玉が写ることもあります。
ここまでは、ごく普通に起きる現象で、何の問題もありません。

問題があるのは、理由を説明できない煙玉や光が写っている上に、さらにその他にもあり得ない事態が起きている場合です。
その場合は、何か「お知らせがある」と考えた方が分かりよいです。
代表的なケースは、「(同じ画像を)見る度に、位置や大きさが変わっている」などというものです。

他は、まったく気にする必要がないごく普通の出来事です。
「これは何か」と考えることは不要です。
無理をして因果論的な説明を付けようとする必要もありません。
(これはその説明が、科学でも非科学でも同じです。)
ただ、「白い玉が写った」、「煙玉が写った」が、「そういうこともあるのだ」と思えば良いのです。

もしこれが意味のある煙玉だと、これから頻繁に出始めることでしょう。
前にも、そういうことを経験しましたので、どういう展開になるかは概ね想像が付きます。

画像は高麗神社の鳥居付近の2枚です。
下には息子が写っていましたが、ネットにプロフィールは曝せないので、カットしました。

見たところは、自然現象。
あと1枚続けて撮れば鮮明になったかも。
まあ、普通でない事態が起きるのなら、次からもっと頻繁に、かつ鮮明に出始めます。