日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 36日目(/百日)

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このところ、書籍の注文が相次ぎ、お陰様で「北斗英雄伝」1~5巻は残部が残りわずかです。
状況を見極めて、増刷をどうするかを検討します。
日本ではあまり知られていない素材を取り上げていますので、一般の人まで周知されるようになるのは、「私が死んだ後」のことだと思っていました。
「それが何(誰)のことかわからない」状況では、理解も共感も出来ないのは当たり前です。
映画やテレビドラマになり、幾度もそれに触れることで、共感は生まれるものです。

この物語の「地元」と言えるのは、二戸から八戸にかけての、いわゆる北奥地方です。
最初に本著を見つけてくださったのは、八戸の方たちで、それから3年かかり、今はようやく盛岡で売れ始めています。
「この奥州に九戸政実がいたことの意味に、もっと早く気づけよな」と言いたいくらいですが、残念ですが盛岡は敵方である南部家のお膝元です。
「自分たちの物語ではない」という意識があるのかもしれません。

他地域の方々が九戸政実のことを知るようになるのは、たぶん、私が死んでからだいぶ後のことだと見ているのですが、それなりに少しずつ浸透してはいるようです。
上方の「手垢の付いた」歴史よりは、はるかに新鮮味があるだろうと思います。
(この辺、「敵は上方軍」の意識が抜けません。)

さて、発送が一段落したところで、高麗神社に参拝に行きました。
これで36日目となります。
書き出せなかった第二部にも、ようやく手を付けることが出来そうですので、そのお礼を言いました。

第二部はオムニバス形式となります。
1つ目は、八戸薩摩。
 奥州の英雄の1人である八戸薩摩が、いかに腹をくくったか。
2つ目は、伊達政宗羽柴秀次
 2人は中尊寺で連れだって神楽を観ました。その時、秀吉にひれ伏して永らえた男と、叔父に殺される甥が話したことは何だったか。
3つ目は、領内に残った者の末路です。
 南部信直は「他領に出た者を追うな」と蒲生氏郷に命じられます。
 しかし、信直は領内に留まった者について、徹底的に殲滅を図りました。
 一方、南部方の主だった者たちで三代と続いた家系は少なく、概ね代が絶えてしまいます。
 この辺の裏側が書ければ良いですね。

 この後は、裏付けとなる資料はごくわずかなので、概ね推測で書かねばなりません。
 このため、「心の内」に焦点が当てられることになります。