日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 日一日と       (110)

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日一日と日が長くなって来ました。
この数日は、体調がイマイチで、寝たり起きたり。
出来るのは、買い物に出るか、神社に参拝する程度です。
まあ、この2月3月の「もはやお陀仏か」という具合悪さからすると、まだましなほう。

理由も分かっており、「夢幻行」の校正と「戦国奥州を生きた盗賊の話」の編集を同時にやっていたので、疲れがたまったせいです。
医者には「年齢的に頑張ろうとしてしまうでしょうが、それはいけません」と言われていますが、なるほど実感としてよくわかります。
今日中に出来そうなことは、2日か3日に分けてやると、負担が減りますね。
ま、それが一番難しいです。
活動を取捨選択して優先順位をつけ、「1日にひとつのジャンル」と決めているので、どうしても出来ないことが発生してしまいます。
これが心にあると、「ちょっと頑張ろうかな」と思ってしまいます。
そして、その後にはまったく動けない日々が待っています。

唯一、苦痛でないのは車の運転です。
これは慣れているせいで、病気をする前には1年に4万キロくらいは走行していました。
今も物を考えたりするためには、車が一番です。
これに比べ、電車や駅では、たった5分で倒れそうになったりしますね。
この辺は二重三重に持病ありの者です(苦笑)。

しかし、発作が出ると、数分で意識が無くなるので、前兆を早く知ることが必要です。
いざという時でも、他の人に迷惑を掛けないようにするためです。
これも次第に慣れて来ました。
最初の兆しを感じたら、コンビニでも何でも良いので、駐車スペースを見つけ、「すぐに休む」が原則です。ここもやはり、頑張ってはいけないが鉄則になっています。

片道で十数キロくらいがちょうど良いわけですが、これがまさに当家から高麗神社までの距離です。
3月までは百日祈願のために行きましたが、今はこの「運転する」ことと、猫に会うことが目的で、やはり数日に1度くらいの割合で出掛けています。
理由は別ですが、結果的に参拝を継続することになっています。
この調子だと、いつの間にか二百日、三百日になっているのかもしれません。

あいにく、今日、猫はいませんでした。
参拝客もほとんどいなかったようです。