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◎「声が聞こえる」 (御堂観音にて)
岩手町の御堂観音を訪れた際の顛末です。
少し気持ちの悪い画像を含むので、そういうのが嫌いか、慣れていない人は、ここで読むのを止めてください。まれに気分が悪くなる人がいます。
実は私は「声」が聞こえます。ここで言う「声」とは、そこにはいない人の声で、一般的な言い方では「霊」の語る声のことです。もちろん、常時ではないし、「たまに」の範囲内ですので、念のため。
私は霊能者でも、スピリチュアル・カウンセラーでもありません。
なお、生身の人の後ろからも聞こえたりするので、なるべく人と接触しないような生活をしています。(「人間嫌い」を自称しているのは周知の通り。)
さて、今回の話ですが、二戸釜沢館跡を見に行くために、車で出発したのです。
沼宮内を過ぎ、御堂に差し掛かったあたりで、突然、「声」が聞こえました。
「ここに寄って行くといいよ。良いことがある」
自分が頭で考える時の言葉ではなく、その2倍から3倍の大きさですので、聞き間違うことはありません。
「ここは北上川の水源地だし、良いか」
ハンドルを切り、御堂観音に向かいます。この地には「弓弭(ゆはず)の泉」があるのですが、それが北上川の源泉になっています。
駐車場に車を停め、降りて歩き始めると、持病の筋膜腫が出始めました。
私には様々な持病がありますが、脾臓、胆嚢の筋膜腫もそのひとつで、24時間じりじりと痛みます。鎮痛剤を常時服用するほどですね。
山門に近付くと、また声が響きます。
「今、痛いのはその患部に触っているからだ。ここの泉の水を飲めば、その病気は治る」
もしそれが本当なら、かなりラッキーです。
そこから、携帯とカメラで次々撮影しました。
ちなみに、ここは観音様ですが、観音様の場合、お寺のこともあれば神社のこともあります。後に分かりましたが、注連縄がありましたので、こちらは観音神社ということです。
この境内には高い樹木が生い茂っているので、昼間でもかなり暗くなっています。
異変が始まったのは、階段を上り終えた時です。
直前にお焼香場があるのですが、最初のはなんとも無かったのに、2枚目には光の玉が出ました。
日向ではこれとそっくりなものが出ますが、多くは日輪(プリズム効果)です。
しかし、今回のはそれとは違います。何故なら、ここは日陰だから。日の光が差さないところに日輪は出ません。
もちろん、この時には気付いていませんでした。
社殿で拝礼をし、右に回ったところで、スマホで撮影し、デジカメで撮りました。
この時、頭の中ではわんわんと「声」が響いています。
「ここは昔からの霊場だ。沢山の力がここから出ている。だから、泉の水を飲め。お前の苦痛がそれで無くなる」
お腹がじりじりと痛んでいるので、もしそれが本当なら、嬉しい限りです。
小走りで、泉に向かいました。
泉はあまり手入れがされていないようで、枯葉が浮かんでいるわ、蛙が泳いでいるわの状態です。別に水量の多い水源があるのですが、この泉は少ないらしく、動きが見えません。
傍に柄杓が掛けてありましたので、それを取り、泉の水を汲んで、下まで降りて、手を清めた後、少し飲みました。
「これだけで治るなら、本当に助かる」
すると、再び声が響きます。
「ここは本物の霊場だ。人によっては重い病がたちどころに治ることもある。だからこの地のことを周知させよ」
本当かよ。すると、頭の中では「数パーセント程度だが、末期癌が完治することもある」という返答が聞こえました。
それから神社を下り、二戸に行きました。
常楽寺に行こうと思っていたのですが、途中で道が車で塞がっており、行けませんでした。
釜沢淡州に受け入れて貰えていないのか、まだ屋敷跡の中心部に入ったことはありません。
仕方なく帰路につくわけですが、一戸の産直所に立ち寄り、駐車場でこの日の画像を初めてチェックしました。
「うひゃあ。なんてこった」
神社やお寺の周りには、沢山の不浄霊が取り巻くようにたむろしています。
それがあちこちに写っていたのです。中にはとても人には見せられないものもあります。
最初に、光球が出た後、境内に霧が掛かりました。私が「幽界の霧」と呼ぶもので、心霊現象が表出する際によく出ます。快晴の日なのに霧が掛かるのですが、肉眼ではまったく見えていないのに、画像には残っています。
その先の数枚は酷いことになっており、1枚くらいしか外には出せませんね。
気が付かない人は、その方が良いと思いますので、少し拡大した画像を添付して置くだけに留めます。これは「嘘は言っていない」という証拠保全のためです。
なお、かたちはどうでも良く、問題は「念」が出ているかどうか。
私には今も「声」が聞こえますが、その都度、十以上の数です。
ま、画像の中心を見れば、一目瞭然ではあります。
「それじゃあ、あの声は本物だったのか」
しかし、神は声を出さないので、聞こえていたのは、たぶん、そういう不浄霊のほう。
何であんな誘いを持ちかけるのか。
結論はひとつ。「沢山の人をここに来させて欲しい」ということです。
何百、何千人の参拝客が来れば、帰路、その人の背中に乗ることが出来るかもしれません。不浄霊は境内には立ち入ることが出来ないので、たぶん、参拝客がお参りをして、山門から出た瞬間に乗るのです。
「いやはや、ヤベーヤベー。気をつけねば」
しかし、ここで考え直しました。
「悪霊はヤクザ者と同じで、自ら口にした約束は必ず守る。なら、実際に重病の患者の数パーセントは改善されるかも」
リスクの高い賭けで、病気が治るかもしれないが、悪霊を持ち帰るかもしれない。
金持ちなら財産を失くすようなバクチをしないし、してはならないのですが、元が貧乏ならどうだろう。私のように余命宣告を受けたことのある者が失くすものは少ない。
そこで、二戸からの帰路に、再びここに寄りました。
私の筋膜腫は治す方法が無く、「いずれ癌化する」と言われているので、それが少しでも先に伸びて欲しい。
夕方なので、境内は真っ暗ですが、また泉に行き、水を少し飲みました。
その次の日に、強烈な下痢をしました。
「あそこは雨水や周りのゴミが入るわけだし、煮沸してからだったか」
格好が悪いのですが、パンツを少し汚すくらいの強烈な下痢です。
これが治るまで丸一日掛かりました(苦笑)。
本題はここから。
それ以来、筋膜腫の痛みがまったく出ません。
まあ、釣りの餌と同じで、数ヶ月とか半年1年のプレゼントなのだろうと思います。
ここで私は叫びました。
「しまった。現実になるなら、心臓とか腎臓とか『一切を治してくれ』と念じれば良かった」
案の定、数日後に、最近は出ていなかった狭心症が出ました。こっちはたぶん、リスクの方です。
最後に助言ですが、末期癌等で余命幾ばくも無い病人なら、ここに参拝して泉の水を飲む手だと思いますね。
失くすものがないわけだし、駄目元です。
ま、ペットボトルに汲んで来て、家で煮沸した後で御茶やコーヒーを淹れて飲むのが良いと思います。
もちろん、「数パーセント」なので、効果は保証できませんが、何もしないでいるよりよっぽどましです。(ただし、かなりの「別のリスク」もあります。)
気をつけるべきは、患者ではなく付き添いの方の方で、帰路、良からぬものを持ち帰る惧れがあります。
小鐘や錫を持参して、神社を下がるときに充分に鳴らす必要があります。
これが無い場合は、繰り返し拍手を打ち、寄せ付けないようにすることです。
なお画像は「転載禁止」です。面白がって拡散すると、「必ず悪いことが起きる」ので、ご承知置きください。何か起きても一切関知しません。