日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎会合で

◎会合で
 郷里にいる時に、久々にある会合に出ました。
 会議が終わり、旧知の人たちと喫茶店で話をしました。
 年齢層が同じくらいのメンバーだったせいか、話題が病気の話に移り、自然とこの数年の私の病状について話をしていました。
 ま、元々、性格的に、人集まりの中に入ると、何時の間にか前に出て演説をぶっていますね(苦笑)。

「御堂観音のゆはずの泉の水を飲んだら、脾臓・胆嚢の腫瘍が良くなったのです。私だけでなく、もう一人の重病人も『余命はあと1、2ヶ月』の状態から1年以上経過していますよ」
 そのメンバーの中には、癌を患っている人が2人いたので、やはり真剣に聞いています。
 しかし、「そこに行きさえすれば良くなる」というものではありません。
 顔を見た瞬間に不治の病をパッと治してくれる医師や祈祷師がいないのと同じです。
 治癒だけを期待して訪問しても、期待通りの結果は得られない。

 「病気を治してくれるのは、神さまや仏さまじゃなく、別のものです」
 何かを引き換えにする必要があるのかもしれませんよ。
 それでも、とりあえず治してくれるなら、それが何であっても構わない。
 病人はそう思うし、私もそう思います。
 時々、夜中にうなされ、「こっちに来るな」と叫んでいるらしいのですが、死ぬよりはまし。
 私も2年前には、3ヶ月以上の間、ほとんど寝たきりの期間があります。
 そこにいた人たちはそのことを知っていたので、私が車を運転して郷里に行っていることだけで、驚いていました。

 「御堂観音に参拝し、泉の水を少々拝領して飲んでみると良いかもしれませんよ。その後、数日したら八幡さまにも参拝し、ついてきたものを渡すと良いです」
 何かを完全に取り込んでしまう前に渡してしまうことです。
 「治療が有効なうちは必要ありませんが、事態が悪くなったら行ってみる手です。ま、殆どの人には何も起きないので、現状より悪くなることはありません。たぶん、信じない人、半信半疑の人には、ごく普通の神社です」
 
 重い持病のある人数人には、画像を見せました。
 ネットを含め、他人には絶対に見せないものです。これは気分が悪くなる人がいるためで、納得づくでないと必ず問題になります。好奇心程度の思いで見たらアウトで、寝る度に恐ろしい思いをします。