◎三月の出来事
3月6日頃に、母が電話で「胸が痛い」と言いました。
私は「末期がん患者が胸や脇の下に痛みを覚えると、胸部リンパ節に転移した可能性が高い」ことを知っていたので、それを聞いた瞬間、ドキッとしました。
看護師らに聞くところでは、通常、胸部リンパ節に転移すると、余命は2、3週間程度とのことです。
母に確認すると、「湿布を塗っている」と言います。それなら、何か皮膚か筋肉のトラブルと思い、10日に所用があったので、11日より訪盛することにしました。
10日夕方は神奈川にいたのですが、知人と食事中に具合が悪くなりました。
典型的な狭心症の症状で、鳩尾が重くやたら脂汗が出ます。
頭の中で、「いよいよ今日が本番なのか」という考えが過ぎります。
心臓病の持病があるので、時折発症しますが、その都度、覚悟させられてしまうわけです。
ホテルの自室に戻ると、すぐにバタッと倒れ、そのまま意識を失いました。
目が覚めたのは、午前3時です。
「おお。生きてら」
すると、部屋のチャイムが「ピンポーン」となりました。
すぐに出てみると、扉の外には誰もいません。
そこで、「夕食の時のあの感覚は自分のではない」と行き当たります。
「母が呼んでいるのだ」
翌朝、早々に出発すると、兄から電話がありました。
「今どこ?お袋の具合が悪いからすぐにこっちに来て」
後で聞くと、八戸に住む姪もまったく同じ時間に同じ経験をしたそう。マンションの呼び鈴が鳴ったので、すぐに子どもを連れて盛岡に来ました。この子も第六感が立つ方で、自身のその感覚を信じます。
母の病院に直行すると、母は思ったより元気で、私の顔を見ると「疲れただろうから、すぐに家に行って休めばよい」と言いました。
母は常に周囲に気を配る人で、前回、病院に入った時も、退院の日に兄をデパートに寄らせ、私のためにズボンを買いました。歩くのもままならなかったろうに、「こっちの気候では寒かろう」と案じたのです。
そこから毎日病院に通ったのですが、日ごとに母の体力が落ちて、まったく食事を摂れなくなったのです。
亡くなる数日前から、母は目を瞑っていることが多くなりましたが、トイレには自分で行っていました。
その日の母はやはり目を瞑っていたのですが、「いつもより呼吸が深い」ことに私は気付いていました。
看護師さんを呼んで、医師に診て貰おうとしたのですが、看護師が「大丈夫ですか?」と声を掛けると、母はその時だけ目を醒まし「大丈夫」と答えました。
そこで私は実家に戻ったのです。
母が亡くなったのは、翌日の早朝でした。
それから葬儀までは慌しく過ぎました。
なんとか告別式を終え、その翌日に叔母(母の妹)や妻子を盛岡駅に送って行ったのです。
新幹線の時刻には余裕があったので、待合室に座っていたのですが、尿意を催したのでトイレに行きました。
席に戻ろうと待合室の前に立つと、叔母の前の席、つい先程まで私が座っていた席に、母が座っていました。
「あ。お袋だ」
慌てて駆け寄ろうとしたのですが、自動ドアが開いたら、母の姿は消えていました。
おそらく幻覚で、肉親を失った喪失感が幻覚を見せているのです。
席に戻り、叔母には「今さっきお袋の姿を見ました」と報告しました。
初七日の夜のこと。
家の向かいにある物置の前に車を停めてあったのですが、夜の11時頃に突然、クラクションが鳴り始めました。「プッ。プッ。プッ。プッ」という、防犯ブザーの音です。
クラクションは数分鳴ると、そこでひとりでに止まりました。
すると、すぐに姪が私のところに駆け込んで来ました。
「叔父さん。叔父さんの車だよ」
私は数日前に、その物置の前に母が立っている幻覚を見ていたので、やはりドキッとしました。
それでも、合理的な説明が出来る時には、そちらの方を採用すべきです。
「気温が低い時には電機関係は誤作動することがある。それに、俺の車には防犯ブザーはついていない。ついていないものは鳴らないのだから、たぶん近所の別の車だろ」
ま、寒さでクラクションが誤作動するのは、気温がマイナスの時なので、前者は当てはまりません。
これに姪が真顔で答えました。
「でも叔父さん。私は叔父さんの車のライトが点滅するのを自分の目で見たもの」
ま、誰でも気が付きます。
「防犯ブザーがついていない」車の「ライトが点滅し、クラクションが断続的に鳴った」ことの意味は、「誰か」が「ハザードランプのスイッチを入れ、クラクションを押した」ということです。誤作動で起きるのは、いずれか1つで、同時に2つは起きません。
姪はあの母の孫です。第六感は遺伝すると言いますが、どうやら私の仲間のよう。
翌日、姪に説明しました。
母は死んでも家族のことを心配しており、昨夜は音で示した。
「葬式の後に、その身内が事故に遭いやすい」という説がありますが、これは葬儀の疲れが出て、集中力を欠くことから。
車を示すのは、すなわち母は私のことを案じているのです。
ただし、姪には「この辺からは先に進まないように」と伝えました。
「この叔父さんには、説明し難い現象が頻繁に起きる。声も聞こえるし、時々姿も見える。ほとんどが妄想や幻覚だろう。しかし、写真にも写るから、『気の迷い』で逃れることが出来ないんだよ」
第六感が本格的に目を醒ましたら、もはや自分では止められないし、押さえられなくなります。声が聞こえ、姿を見るようになると、煩わしくて堪らない。
「あまり気にしないこと。のめり込んではいけない。すなわち、何でもかんでも霊的現象に結び付けてはいけないということだ。もし始まってしまったら、その時にどうすればよいかを教えるから」
姪のような者には写真(いわゆる心霊写真)を見せたりしません。たぶん、そこで本格的に始まってしまいます。
「もし異変が起きても、少しだけ心に留め、他人にはたまたまの出来事だと言うこと」
クラクションが鳴るのは「気温のせい」でよし。
実際、霊的に見える現象の99%は妄想や幻覚で、私や姪の感覚もそれです。
目の不自由な人が、手探りで「これは何か」と想像しているに過ぎません。
見えた振りをする「霊能者」や「スピリチュアルカウンセラー」、「宗教者」がいますが、全部偽者です。第六感なんぞ塵ほどもありません。ただの妄想家たち。
何かはっきりしたメッセージがある時は、必ず物理的現象を伴うのですが、それは「けして気の迷い(妄想や幻覚)ではない」と知らしめるためだろうと思います。
クラクションは周囲の者が全員耳にしていました。皆が口を揃えて「帰りは気をつけろ」と言うのですが、私は「なあに。たまたまだよ。機械の誤作動だもの」と答えてあります。
でも、もちろん、帰路は慎重に慎重を重ねて帰って来ました。
母は、自分が亡くなっても、なお息子や孫たちのことを案じてくれているようです。
しかし、愛情が執着心に替わると、あの世に行けなくなってしまいます。
今は母が穏やかに彼岸に渡ってくれることを願います。
あの母を「送る」のは、私の務めのように感じます。