日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎母が亡くなった夜に

◎母が亡くなった夜に
 昨年の三月中旬に母が亡くなったのですが、その日の内に遺体を家まで連れ帰ったのです。
 その夜になると、家の前の車の防犯ブザーが「ブブ・ブブ・ブブ・・・」と鳴り始めました。そして、数分間それが続いたのです。
 すると、姪が隣室から来て、私の隣で窓の外を覗きました。
 「あれはお祖母さんじゃないかな」
 姪は霊の存在を信じるほうです。
 「寒い時期は電気系統が接触不良を起こすから、鳴ることがあるんだよ」
 私はそう説明しました。
 すると姪は「でも、あれは叔父さんの車だよ。たまたまとは思えない。お祖母さんがさよならを言っているんじゃないかな」。

 姪の説は大体こんな内容でした。
 冬に起きると言っても、しかし、どの車にも起きるわけではない。
 叔父さんの車が冬によく同じことが起きていれば、そう言えるかもしれないが、人を選んで、時を選んで起きるとなると、偶然とは言えなくなって来る。
 物理現象なら、常に同じことが起きるか、再現出来なければ、お祖母さんが挨拶したものでないとは言い切れない。

 私の答はこうです。
 確かに、これまで冬にクラクションが鳴ったことは無い。
 しかし、もし選択肢が複数あるなら、とりあえず、物理的な説明を根底に置いた方が無難だ。
世間一般的に「変人」と思われないためには、「無難な答え」をしておいた方がよい。
 私のような「世捨て人」にとってはどうでもよい話ですが、世間の人は自身の常識から少しでも外れると、とにかく否定します。面倒ごとになるから止めとけ。
 見誤りや曖昧な部分を排除して、核心的な要素を掴むまでは(「逆説の棄却」と言います)、あまり口に出さない方が暮しやすい。

 この時、私は重要な情報をひとつ持っていたのですが、姪には言いませんでした。
これを言うと話が固着してしまい、「以後、注意深く確かめよう」という姿勢が失われます。
 その重要な情報とは、「私の車には防犯ブザーがついていない」ことです。
 要するに、クラクションを繰り返し小さく鳴らすには、「手で押す必要がある」のです。
 そうなると、「逆説の棄却」がかなり難しくなって来ます。

 ちなみに、こういう事態にはどう向き合えばよいのでしょうか。
 むきになって「数分の間、小さくクラクションが鳴り続ける」証拠を探すべきでしょうか。
 科学論者には、そういう人がよくいます。

 でも、こういうような出来事があった時には、もし当事者であれば「母親は亡くなっても自分を案じてくれ、有り難い」と思えば良いのです。
 持て成されたものは、享受すれば宜しい。
 簡単ですね。