日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎タケノコと給食

◎タケノコと給食
 オヤジ看護師がベッドに来たので、つい愚痴めいた話をしました。
 「何か美味しいものが食べたいけれど、その『美味しいもの』とは一体何なのか、今はもう分からない」
 看護師が「そうですねえ」と相槌を打ちます。
 「肉とか重いものは食いたくないし、それ以前に禁忌食品だ。あとはどうすりゃいいのか」
 「強いて言えば、何ですかね」
 「うーん。季節の物かな。山菜とか、灰汁を取り切らずに、少し残してほんのり苦いくらいがいいねえ。今ならタケノコかな」
 オヤジ看護師はG馬県出身で、裏山に行けば、タケノコがナンボでも生えていたそう。

 「しかし、朝採ったのを昼前に処理しないとならんからなあ」
 「僕の田舎でよけりゃ、採りに来てくださいよ」
 G馬までタケノコを採りに行くのも悪くないのですが、少し遠いかな。
 ここで閃きます。
 「なあんだ。いまや高齢化・過疎化で荒れ放題の竹林はそこら中にある。まったく手入れをしていない」
 「じゃあ、かっぱらって来ちゃいますか」
 「いいこと言うねえ。そいつは面白い。竹林は常にタケノコを採り、伸びた竹を伐採しないとすぐに荒れる。茫々の状態になったら手が付けられなくなるね。不在地主のためにも、とりあえずタケノコを間引きしてやるかあ」
 「でも、得てしてそういう時に捕まったりします」
 「五十オヤジがタケノコ泥棒で捕まったら、ニュースに名前が出ちゃうよな。でもスリルがある。ゾクゾクしそう」

 ここでふと思い付きます。
 今は竹の粉を資源として使う動きがあるんだから、竹林の世話が出来ずに困っている不在地主のところに行き、間伐を請け負うという仕事はどうだろ。
 もちろん、費用はタダで、伐採した竹材やタケノコを貰います。
 少し田舎に行くと、廃屋と荒れた山ばかりですから、案外行けるかも。
 ま、請け負う方は大して儲かりませんが、高齢者ビジネスに仕立てれば何とか。
1週間くらい田舎に住んで、竹の伐採生活。
 いかにも楽しそうですねえ。熊さえ出なければ。

 「ところで、子どもの頃と今とでは、嗜好がだいぶ変わりましたよね」
 「本当だ。タケノコなんかを美味しいと思ったことは無い」
 「他に昔は苦手だった、みたいなのはあります?」
 「そりゃ冬瓜だよ。カブも嫌いだった。ふにゃふにゃして味がない。ヒジキなんかも見るだけで腰が抜けた。給食によく出たが、ひと口も食わなかった。それが酒を飲むようになった後は、むしろ美味いものだ。ヒジキだけで飯が食える」
 「僕も冬瓜は嫌いでしたね」
 「今の小学生は本当に美味いものを食っている。パンなんか昔と比べ物にならんくらい美味い。俺が小学生の頃はボソボソの不味いヤツで、机の中には古くなってかちかちのパンが30個も溜まったっけな」
 今の給食のパンは本当に味がいいです。
 まったく今どきの子どもは贅沢の限りを尽くしています。

 ここで、オヤジ看護師が別のベッドに移るので、この日のお礼を言いました。
 「どうも有り難う。タケノコなんかかっぱらえというのは、本当にスッとした」
 もちろん、以上の総てが「話のネタ」としてだけです。

 隣のベッドは女性患者なのですが、こちらはこちらで若い看護師と話をしていました。
 看護師(女性)が患者に言います。
 「私は田舎育ちなので、都会に行くと右も左も分かりません。大きな駅だと、乗り換えも上手に出来ないのです」
 「でも、私だってそうだよ」
 「私なんて今も池袋の駅の乗り換え方がよく分からないんです」
 ここで私はビックリします。
 「おいおい。池袋って『都会』だったのかあ」(笑) (もちろん、口には出しません。)

 そうかあ。ここはサイタマでした。
 埼玉県民にとって、「池袋はわが県で唯一のターミナル駅」ですねえ(さらに大笑)。
 他県(都だが)のような気がしません。
 アイラブ埼玉。