日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎試しに言ってみると(398)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

◎試しに言ってみると(398)
 今日は午後から、いつもの神社に参拝しました(398日目)。
 鳥居を潜った時に思いつき、この日は特別な祈願をすることにしました。
 この数日は、父と一緒に行動したのですが、父は息子に話をすることで、心がかなり落ち着いた模様です。やはり、自分の話を聞いて貰うことで、穏やかな心境になるわけです。

 「それなら、あの世の住人にも同じやり方が通用するかもしれない」

 そこで、今日の祈願はこうなりました。
 「俺にはお前たちを助けられないが、耳を傾けるくらいなら出来る。話は聞いてやるから、執着心を捨てて、霊界に入り、改めて生まれ替われ」
 ま、般若心経の真言の部分を柔らかく言い直したものです。

 すると、画像としてはあまり鮮明ではありませんが、ふんだんに出ました。
 しかし、優しい言葉を掛けると、勘違いする者が出るようで、必要以上に私に近付いています。
 「5丹幣緡イ譴討い覆い函酷い目に遭わせるぞ」
 幽霊に理性は無いので、きちんとしつける必要があります。

 どいつもこいつも、顔つきの悪いヤツばかりです。
 「出るなら穏やかに微笑んで出ろ」というのは、やはり無理難題なのでしょうか。
 顔は怖いのですが、さしたることは出来ません。

 怖れはまったく感じなくなっていますし、もちろん、軽視もしていません。
 間に線を引いて、「ここからは出るなよ」と決めるのが、不良(生きた)との付き合い方ですが、「あの世の住人」とも同じような考え方でよいようです。
 画像は、何かが「見える」人には、かなり気持ち悪いのですが、なんら影響はありません。
 ただ顔の悪い人を怖がってもしょうがありません。第一、相手に失礼ですね。

 慣れたとはいえ、軽く呼びかけたら、わさわさと出て来るとは、まったくもってあきれました。

 追記)
 「第六感」「霊感」の本質は、「錯覚」や「気のせい」です。
 「あの世」は人間の可視域・可聴域の外側にまたがって存在しているので、それを感じ取れるひとが想像や妄想をめぐらせているのが実態だろうと思います。
 それには私のも含まれます。
 もちろん、その中には「説明のつかない現象」もあるのですが、事例はごくわずかです。
 「宗教家」や自称「霊能者」の語ることは、大半が作り話です。