日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々4/25 「女性はひとり」

病棟日誌 悲喜交々4/25 「女性はひとり」
 妻子を駅まで送り、その足で病院に行くと、ガラモンさんが車椅子に乗せられて移動していた。椅子を押していたのは師長だ。
 「自覚症状がないけど頻脈だと言うから」
 脈が120/分あるとのこと。そりゃ確かに多い。
 ガラモンさんは、二年前くらいに大動脈が完全に塞がり、心停止したことがある。心臓にはバイパスが入り、それ以後は脇の下に装置が入った。ペースメイカーではなく、心臓が止まった時に作動し、電流を送るものらしい。

 ガラモンさんは数少ない病棟の先輩の一人で、もはや当方より先輩は三人しかいない。
 五十台のAさん(女性)は、つい先週、首の血管を人工血管に取り換えた。Nさん(男性)は、足の指を切除した。
 当方も毎年、かなりヤバい状態に陥っているので、やはり「否応なしに順番が来ている」実感がある。

 病棟に行くと、先輩の一人Aさんが周囲の女性患者と自分の症状の話をしていた。この人は声がでかいから、結構離れたところまで聞こえる。
 何となしに聞いてしまうわけだが、あることに気付いた。
 周りには女性患者が三人くらいいたが、五十台から七十台までの年齢層で、全員が「独り暮らし」をしていた。
 子どもたちが大きくなり、ダンナとは離死別して、今は家に一人でいる。そんな人ばかり。
 ガラモンさんもその一人で、見渡す限り同じだ。
 なるほど、男性よりも女性の方が「長生き」なんだな。
 長生きの代償が「独り暮らし」ということだ。

 治療終りに食堂に行くと、テーブルの対面にトダさんのトレイが残っていた。
 介護士のバーサンが片づけに来たが、「トダさんは今日も食べていない」とこぼした。
 「いつもそうですね。ほとんど手を付けない」
 その時、病棟の方で「立ったらダメだよ」と看護師が叫ぶ声がした。
 どうやら耄碌ジーサンがじっとしていられず、ベッドから立ち上がろうとしたらしい。チューブが「半分動脈」と繋がっているので、これが外れると大量に出血するから。看護師が制止した。
 そっちの方を見ると、動いたのは「お茶屋の小父さん」だった。
 このジーサンが「まだ生きている」ってことにむしろ驚く。
 腎不全患者の行き着くところは、「全身が墨汁のような黒い色に変色してしまう」というものだが、この患者は既にそこまで到達している。挨拶などは確りしており丁寧だから、頭は大丈夫だと思っていたが、さすがにボケていたらしい。
 このジーサンが他の患者の「三倍しぶとい」のは、きちんと食事を摂るところにも表れている。透析患者の食事は幼稚園児並みの量だが、これをゆっくりと一時間も掛けて残さず食べる。
 車椅子に乗るようになってから一年半生きていた患者はこの人だけだ。

 トダさんも時々車椅子に乗っているが、食が極めて細い。
 これまで見て来たとおり、この状況になると残りは数か月だ。
 死ぬべき時期ではないから、何とか助けてやりたいが、手立ての講じ方が難しい。
 殆どの人は瞼を閉じ耳を塞いでいる状態だ。この世とあの世の理を認識するには、多くの壁がありそれが障害になっている。
 だが、一人に道を付けられるのであれば、他の「まだ死ななくても良い人」も救済可能になるかもしれん。

 トダさんの家には八十台のバーサンがいて、これがトダさんの健康を削いでいる。生きているバーサンなのか、死んでいる者なのかはよく分からんが、コイツを引き剥がすだけで食べられるようになると思う。ある日突然、パアッと心も体も晴れる。
 次に訊くことは、「家に御祖母さんはいますか?」だ。まずはそこから。

◎霊界通信 「出てこいや」と言ったら

霊界通信 「出てこいや」と言ったら
 このところ、「沢山たかられている」という自覚症状が出ており、心の中に雲が出て来た。青空が雲で翳っている。
 それなら、むしろ良い機会だ。

 昼過ぎに神社に行き、セルフチェックをした。
 「せっかく来ているのだから、姿を見せろ。出てこいや」
 最後はあのレスラーの口調だ。

 帰宅して、この時撮影した五六枚の画像をチェックすると、なるほどと納得した。最後の方ははっきりしたメッセージになっている。
 見せられるのは最初の一枚だけ。
 他は「見せてはならない」そうだ。ま、誤った印象を与える惧れがあるし、見ても意味の分かる人は少ない。
 交信の糸口が見えたので、この日は収穫があった。
 徐々に色んなことが繋がり、疑問が解けていく。

 いずれ「(画像を)出しても良い」と言われる段階が来ると思う。

 ちなみに、「眼」は「穴」(交流点)を示す標識のようなものだ。これが出ていると、必ず傍にあの世の住人がいる。実際、この後で出たが、煙に近い状態だからそれと認識し難い。

◎夢の話 第1130夜 家具が古くなった

夢の話 第1130夜 家具が古くなった
 4月25日の午前2時に観た夢です。

 我に返ると、自宅マンションの前に立っていた。
 ドアを開き、中に入る。
 中には女房がいて、「あ。帰ったね」と声を掛けて来た。
 居間にはあまり物がなく、片付いていた。
 「そう言えば引っ越しを考えて、断捨離をしたんだったな」
 腰を下ろし休むためのソファが無いので、奥の部屋に向かう。
 そっちの部屋は、かなり奥行きがあり、箪笥の類がずらっと並んでいた。
 随分古い調度類ばかりで、幾つかは壊れかかっている。
 「買い替えるか、捨てた方が良いかもしれんな」
 すると、頭の中で自分自身の声が異を唱える。
 「いやいや。まだ使えるよ。冗談じゃない」
 俺は割と古いものが好きなんだ。調度類も人も同じことだ。

 ここで俺は今起きている事態に気付き始める。
 「あれあれ。これは俺がよく観る夢のシチュエーションだ。この部屋は夢によく出て来るが、俺の体だ。あちこち古くなっているのは、俺自身が齢を取っているという意味だ」
 となると、家具は臓器のことだな。
 「なあるほど。調度類にガタが来てるのは事実だ」
 俺は夢の中で現実を見つめているのだ。

 ここで俺はこの部屋の奥にある扉を見る。
 この扉の先は中庭になっていて、そこに神社がある。
 ここで覚醒。

 家具は古くなったが、まだ捨てるわけにはいかない(w)。
 何百回、夢の中でこの「家」のことを観たか分からぬほどだが、漸く総ての理屈が通じた。
 この家の中に「スイッチ」がある。
 大病を患う前には、私は石造りの寺院のような建物に住んでいたが、ある時これがガラガラと崩れた。
 夢の中で、私は柱の下敷きにならぬようにひょいひょいとそれらを避けた。
 その後、この巨大マンションの一室に住むようになったが、さすがに古びて来た。
 だが、私はこの部屋をまあまあ気に入っているので、まだ引っ越す気持ちにはなれぬのだった。

 ちなみに、離れの神社の天井裏にはお金(銀貨)が山と積まれた木箱がある。「いざとなったらこれを使ってもよい」と巫女に言われたことがある。その奥には剣のようなものが置かれていた。
 自分自身の潜在意識に直接連絡できるルートがこの「夢の中の家」だと思う。スイッチの位置が分かれば、あとはそのスイッチを入れるだけ。

◎病棟日誌 悲喜交々 4/23「沈黙の病」

病棟日誌 悲喜交々 4/23「沈黙の病」
 長女に防煙マスクを贈るべく、早朝から郵便局に行き、それから病院に行った。
 病棟が開くのは八時からなので、患者たちが一般ロビーの待合にいたが、先頃、循環器の病因から戻って来たNさんを囲んで話を聞いていた。
 その光景がまるでダビンチの「最後の晩餐」そっくりな構図だった。Nさんを囲んで七八人が耳を傾けている。

 Nさんは動脈硬化が進行し、左足の中指を切断した。その後、切断面に肉が盛り上がるまで入院したので、二か月その病院にいた。
 足の中指一本だけだが、やはり歩行に支障をきたし、杖を突いている。踏ん張ったりすると、足のバランスが崩れ、容易に転んでしまうそうだ。
 ま、これは分かる。親指ならだれでも想像がつくと思うが、普段は意識もしない小指にいざ傷がつき使えなくなると、歩行が困難になる。指が五本あるのは、「各々必要だから」ということ。
 Nさんは一月に、当方とまったく同じ時期に発症し、同じ経過を辿ったが、治らずに指の切除まで行った。
 思わず、「指1本で済んだなら、まだ幸運ですよ。腎不全患者は動脈硬化が普通の人の十倍速で進みますからね」と慰めた?。

 Nさんのベッドの向かい側には47歳の患者がいたが、左脚が脛から無くなっており、右足の親指も切られていたそうだ。
 やはり腎不全患者だ。その年齢では糖尿病経由ではなく、やはり薬物だ。ステロイド系の薬や先日の紅麹のような健康食品、サプリなどで、体に合わぬ人は一発で腎不全になる。
 腎不全になれば、普通の人の十五年分かかる動脈硬化が一二年で進行してしまう。同じことが心臓でも脳でも起きるから、足ならまだまし。
 怖いのは、発症するまで自覚症状がまったく無いことで、いざ出れば後戻りが利かない。
 例えるなら、存在すら気付かぬほど「大人しい人」だと思っていたヤツが実は凶悪犯で、いきなり長ドスを振り回して暴れる、みたいな話だ。

 Nさんの近くで話を聞いていたら、何だか変な感覚があったが、帰宅して少し仮眠を取った後で「左足が痛い」ことに気付いた。最近は調子が良かったのに、この日の出来事と関係があるのか?

 この日、治療後に食堂に行くと、トダさんが椅子に座っていた。
 やはり食事が摂れぬのだそう。
 その時にこう思った。
 「自分がどう思われるかはどうでもよく、助かる者を放り捨てると、後々後悔するかもしれん」
 ひとまず、食事の工夫について話をして、家庭内の状況を聞いて置こうとしたが、別の患者たちが入って来たので、対話はそこで終了になった。コロナ以後、食事の際に話をすることが憚られるようになり、それは今も続いている。
 帰る道々、思案したが、「当方があの世に関わっていることを知る看護師に、トダさんの状況を聞き、その後でそれとなく示唆する」と言う手があることに気付いた。
 幾人かにあの世画像を見せているが、動かしがたい証拠を目にした者なら、抵抗が幾らか少ない。

 少し気を付ける必要があるのは、他人に関わると、その人の抱える業のようなものまで、当方が引き受けるかもしれんことだ。
 幽霊にとっては、「話に耳を傾け、思いに寄り添う」当方のような者が望ましいから、乗り換えて来るということ。
 外出する度にあちこちから手が伸びて、当方の体を掴む。
 経験がない人には、ただの妄想話だが、一回死んでからは、当方はもはや別の領域にいると思う。そう認識すると気が楽だ。
 何せ今は左後ろにいつも誰かの影がある。
 十六七年間は、玄関の扉の外にいたが、これが家に中に入り、台所のカウンターの陰に立った。今は堂々と一㍍の間合いで立っている。視界に影が入る度に「それ以上近づくなよ」と告げるのだが、そいつの後ろにはムカデ行列が続いている。
 さすがに慣れ、何とも思わなくなった。
 怖ろしいのはひとの心で、生死を問わず基本が醜い。生きているから、あるいは死んでいるからなどは関係なく、自我がある限り、独りよがりに考えるように出来ている。

 それが醜い。

◎夢の話 第1129夜 崖崩れ

夢の話 第1129夜 崖崩れ
 四月二十三日の午前四時に観た夢です。

 荒れ地の間を歩いている。
 周囲は茶色の山々だ。
 山道を進んで行くと、斜面が崩れたところに差し掛かった。
 「樹木が無いから、雨が降ると地盤が崩れるのだな」
 山が半分崩れ、まるで崖のようになっている。

 その崩れたところを見ると、骸骨が半身を出していた。
 「うわ。仏さまじゃないか」
 ひとつではなく、他にも数体の手足が見える。
 元は墓地か、あるいは・・・。
 先に進むと、本格的に斜面が崩れており、何百と言う骸骨が現れた。
 「この国では、人が死ぬと火葬にするきまりだ。だが、この仏さまたちは服を着ている。死んだ時のままということだ」

 土の下には、何万人分の骨が眠っている。
 一体何が起きたのだろう。
 ここで覚醒。

 これが何かの示唆でないことを祈る。
 ま、長女へ送る防煙マスクを梱包したから、良からぬ想像をしたのかもしれん。

◎芝桜は八分咲き

◎芝桜は八分咲き

 四月二十日には、家人の要請で横瀬町まで芝桜見物に行った。

 日曜なので、普通の時間帯に移動しようとすると、行き帰りとも渋滞に巻き込まれるから、六時台には出発し、八時前に現地到着するようにした。

 ほんの数十分の違いだが、状況がまるで変わる。

 生憎の小雨日和だったが、すんなりと現地に到着した。

 

 私はこの花が苦手なので、羊山公園の中まで家人について行き、「ここに来た」という証拠写真を数枚撮ると、自分だけとっとと駐車場に戻った。ダンナの滞在時間はほぼ十分。

 芝桜は匂いがキツく、これだけ大量に花が咲いていると、まるで『ババアの香水』を嗅がされる感じになってしまう。ちなみに、ここは『フランス人の香水』でも可。『フランスの香水』ではなく、あくまで『フランス人の香水』だ。

 体調もイマイチだったので、眩暈がする。

 駐車場で出口を見ていたが、同じように感じる男性が割といるらしく、大体二十分くらいで戻って来る男性がいる。

 

 しかし、全国どこに行っても、そこで目にする観光客はジジババか中国人だ。

 とりわけ、後者は今やどんな山奥に行っても必ずいる。一体どこで情報を仕入れて来るのやら。

 そして後者が多く来る場所には、ゴミが散らかっている。

 (この日はあ朝早かったので、それほど深いな思いはしなかった。このところ出先で同じ感想を持つことが多かったので記した。)

 「郷に入らば」と言う格言は、あの国由来ではなかったかと思うが、それが通用するのは、大体のところ日本人だけだ。やたら起源を主張する奴はいても、その地のルールに従おうとする者は少ない。

 移民を受け入れて、これまで培って来たものを壊すくらいなら、そんなのを拒否して自然消滅する道を選んだ方が得策かもしれん。

 少し脱線した。

 

 花畑の向こうに武甲山が見えるアングルが美しいのだが、この日は小雨日和で山頂に傘がかかっていた。

◎病棟日誌 悲喜交々4/20「意識飛ぶ」

病棟日誌 悲喜交々4/20「意識飛ぶ」
 土曜は通院日。
 開始後、二時間くらいで、体調が悪くなった。ムカムカするし、鳩尾が重い。急に便意が始まった。
 生あくびも出始まったので、「血圧が急激に低下している」と分かった。体調がイマイチの時に治療を受けると、時々こういう風になる。
 血圧を計測して貰うと、80台だった。
 「ひとまずベッドの角度を戻し、脚の方を上げますね。具合が悪いようなら、すぐに呼んでください」
 看護師に呼び出しスイッチを渡された。

 十分くらい経ったが、全然良くならず、鳩尾は鈍痛に近くなった。血圧の上下向が著しいと血栓が出来やすくなり、この病棟でもその症状で循環器に搬入される患者が時々いる。
 だが、便意の方が強くなったので、そっちが優先だ。漏らしたらさすがに気落ちする。
 「昨日の夜にピートルを飲んだから、腹具合が悪い。中断してトイレに行かせてください」
 この日の担当はウエキさんだった(五十台女性)。
 すぐに機械を外し、車椅子に乗せられて、トイレに行った。
 トイレの中に入ったところで、意識が飛んだ。

 我に返ると、既に自分のベッドで、看護師が三人がかりで当方をベッドに戻していた。
 「ありゃ。俺はトイレに入った筈だが」
 それから、ベッドに戻るまでの記憶がない。
 すると、ウエキさんが謎に答えてくれた。 
 「トイレの中に入ったところで、かくんと頭が落ちたから、すぐに他の看護師を呼んで、連れ帰ったんですよ」
 すぐに血圧を計測したが、やはり上が60台だった。
 機械を繋いで、輸液を戻して血圧を上げることになった。

 「俺はトイレはしてないですよね」
 「落ち着いたら、また行きましょう」
 だが、意識が戻ってみると、既に便意は消えていた。
 総てが血圧の急激な低下による症状だ。最初に生欠伸、次にお腹の調子が悪くなり、鳩尾がムカムカ。ここで嘔吐する人もいる。ちなみに「鳩尾ムカムカ」は心不全の症状とも同じだから、注意が必要だ。時代劇では「心の病」で胸に「差し込み」(痛み)を覚える場面がよくあるが、実際の心不全は痛くない。
 鳩尾に砲丸投げの玉を入れたように、重く冷たくなる。痛くなるのは最終局面で、「痛い」と口に出せぬくらいだから、差し込むどころではない。この時点で処置が始まっていなければ、そのままこの世とオサラバだ。
 救急処置室の前にある長椅子に座っていると、そういう患者が運ばれる場面を時々目にする。

 こういう症状がたまにあるので、「今日死ぬ」とは思わなかったが、実はかなりヤバくて、腸内にあるものを排出したくなる。
 便意を催すのも危機のサインで、動物は死に間際に腸の内容物を排出して死ぬ。ゴキブリが「ホイホイ」に捉えられると、死に間際に便を排出するので、脇に便の塊が盛り上がっている。象も同じ死に方で隣には山だ。生き物はそういう仕組みになっている。
 状況的には、結構危なかった、という意味だ。

 結局、800グラムくらいの水を戻して治療を終えた。
 この頃には血圧が上がっているので、かなり楽になっている。
 晩年の母は、時々、血圧が60台に下がり、救急窓口を訪れていたが、長患いで体力の乏しい人だったから、どれだけ苦しい思いをしたのだろう。自分が同じ状況になって、初めて母の苦しみを理解した。

 器具の取り外しには、若手のユウコちゃんが来た。
 「意識が飛んだのが、便座の前に立っている時でなくて良かったよ。それで意識を失くしたら、便器に顏を埋めて溺れたかもしれん。そんな情けない死に方がある?」
 冗談なのだが、マジに起こりうる話だ。トイレのドアを開けたところまでしか記憶になく、その後の数分間は何があったか分からない。。十分に溺れることが出来る時間だ。
 便器内の水で溺死かよ。

 帰り際にウエキさんに会ったので、「今日も天使に見えましたよ」と伝えた。容体が悪い時には「看護師さんが天使に見える」という話をしたことがあるので、その流れだ。
 するとウエキさんは、「そこは『今日も』ではなく、『いつも天使だね』と言ってね」と笑っていた。
 当方も「こりゃどうも。言葉が足りなくてスマンね」と返した(w)。

 画像は駐車場の端に咲いていたつつじ。
 今週が芝桜が最盛で、来週がつつじらしい。
 否応なしに時間が過ぎて行く。
 当方の心はいつも晴れて気分が良いが、体の方は着実に崖に向かっている。今は「燃え尽きる前の蝋燭の炎」なのかもしれんが、別にそれはそれで良いと思う。