日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1128夜 ピノキオ

◎夢の話 第1128夜 ピノキオ

 四月二十日の午前四時に観た変な夢です。

 

 僕には三つの悩みがあった。

 そのひとつ目は名前のことだ。

 僕の名は竹中半兵衛と言う。まるで侍のような名前だが、実際に先祖のその名前の人がいたらしい。

 祖父はその先祖にあやかって、初孫の僕に「半兵衛」と名付けさせたのだった。

 この名前のせいで、僕は小学生の時に散々揶揄(からか)われた。

 

 二つ目は鼻のことだ。

 どういうわけか、小学五六年生の頃から、僕の鼻は時々大きくなるようになった。

 興奮すると、急に鼻が高くなり、数センチほども伸びる。「膨れる」と言うより、前に「突き出る」と言った方が正確な表現だ。このことが他の生徒に知れると、僕のあだ名は「ピノキオ」から「ピノ」になった。

 中一になると、これが五センチに達するようになった。

 五月の連休明けのこと。

何時になく気温が上がったのだが、まだエアコンが入る季節ではないから、窓を開け、皆がTシャツ一枚になった。隣の席は幼馴染のヨシコちゃんだったが、この子が見ている前で、急に僕の鼻が大きくなり始めた。

 「こりゃ不味い」

 僕は窓側の席だったから、外の方に顔を向け、深呼吸を三度した。

 だが、鼻は静かにならず、どんどん高く伸びた。春先だったことも関係している。

 すぐに、左の列のタカオが気付き、声を上げた。

 「おい。ピノの鼻がデカくなってるぞ」

 皆が僕を見た。

 「おお。スゲー」「大きい」

 皆が騒いだので、僕は鼻を静めようと焦ったが、そういう時には余計に思うようにならぬものだ。

 どんどん鼻が突き出た。

 「なるほど。半兵衛が『ピノ』と呼ばれるのはこういうことかあ」

 教室中が沸いた。

 僕は焦りに焦ったが、そのせいで、少し鼻血を出してしまった。

 これでは、さすがに授業にならぬので、担任の男性教師は僕に「保健室に行け」と命じた。

 「ヨシコさんも保健室まで付き添ってあげて」

 そこで、僕はヨシコちゃんと一緒に、学校の保健室に行った。

 

 保健の先生は、若くて美人だった。

 僕を見ると、すぐに今起きている事態を悟った。

 「どうしちゃったの?ぶつけた?」

 これにヨシコちゃんが答える。

 「半兵衛君は、時々、鼻が大きくなるのです。だから皆にピノキオって呼ばれてますね」

 「すごいね。本当にこんな風になるんだ」

 先生は脱脂綿を取り出すと、鼻血の出ている鼻の穴にそれを詰めてくれた。

 「ここで少し休んで行きなさい」

 そしてヨシコちゃんに、「あなたは教室に帰りなさい」と告げた。

 

 ヨシコちゃんが去り、僕は先生と二人だけになった。

 「竹中君は、時々こんな風になるの?」

 先生は僕の鼻に顔を近づけて詳細に眺める。

 先生の顔が間近に見える。何だかよい香りがした。

 この日はすごく暑かったので、保険の先生も白衣を脱ぎ、Tシャツ一枚になっていた。

 首回りの開いたシャツだったから、先生の豊かな胸の谷間が見えた。

 すると、僕の鼻がまたひと際高くなった。

 「あらあら。なるほど。こんな風に大きくなるわけね」

 僕は思わず先生に謝った。

 「すいません。変な気を起こしたわけじゃないのです」

 だが、そう言ったことで、逆に先生が気付いた。

 「もしかして、女子を見るとこんな風になるの?今日は皆が薄着になってるから」

 僕は素直に「はい」と答えた。

 先生は少しく思案していたが、幾らか言い難そうに僕に訊いた。

 「変な風になるのは鼻だけなの?」

 女性を感じて変化が起きるなら、きっと別のところにも起きるに違いない。先生はそう考えたのだ。

 

 「はい。実はそうです」

 僕は恥ずかしかったが、正直に答えた。

 「下の方もちょっと」

 最初に「僕には三つの悩みがある」と言ったが、三つ目がこれだった。

 鼻が高くなる時には、同時にイチモツも大きくなっていたのだった。

 それも途方もなく大きくて、もやもやした気持ちを抑え込まぬと膝に届いてしまいそうになる。

 「そこじゃあ、見せてというわけにも行かないわね」

 先生は少し前に出て、僕の下半身を覗き込んだ。

 先生の胸の谷間が一層近くに見えた。

 で、すぐに僕のイチモツが反応してしまった。

 すぐにズボンの膨らみでそれと分かるほどの大きさになった。

 先生はそれを見て息を飲んだ。

 「あらま。本当だわ」

 また少し思案する。

 「それなら、教室には戻れないわね。じゃあ、私の父が経営している病院に行って相談しましょう。父と兄は内科医なのよ。私もついて行ってあげるから」

 

 僕は先生と一緒に学校を出て、市内にある先生の家の病院に行った。

 家族だから、先生が用件を伝えると、すぐに診察室に通された。

 最初に先生が父親らしき初老の医師に、僕の病状を伝えた。

 「この子は思春期で今はちょうど大人になろうとしている時期なんだけど、女性を性的な対象として捉えると、すごく大きくなるのよ」

 「え。当たり前じゃないか。中一くらい男子なら皆がそうだよ」

 「でも、この子は鼻が高くなるし、下の方も普通じゃちょっと考えられないくらい大きいの」

 「病院で診て貰うほどってこと?」

 「そうよ」

 「じゃあ、ちょっと診てみようか。お前は席を外していなさい。女性がいればこの子が恥ずかしくて堪らない」

 「はい」と返事をして、保険の先生が部屋を出て行く。

 

 医師は改めて僕に向き直った。

 「どんな風に大きくなるの?どれくらい?」

 そんなことを言われても、本人には上手く説明できない。

 「鼻は五センチくらいですね。あそこは・・・、大体、膝くらいまでです」

 医師の眉間に皺が寄った。

 「膝だって。まじかあ」

 医師は娘と同じ表情で少しく思案したが、徐に一人の看護師を呼んだ。

 すると、程なくその看護師がやって来た。

 その女性を見て、僕は医師が何故その人を呼んだかが分かった。

 その看護師はすこぶるスタイルがよく、肉感的だった。看護着は薄着で、中には下着だけだ。

 「君。ちょっとこの子の前でひと回りくるっと回ってくれんか」

 変なリクエストだが、看護師はすぐにそれに応じた。

 僕は心の中で、「あれあれ。この女性はこの医師と何かありそうだ」と思った。

 だけど、僕の眼の前の看護師が背中を向けると、細いウエストや丸いお尻の線が間近に見えた。

 「君。この子の前でしゃがんで、顔を見上げてくれんかね」

 「はい」

 看護師が僕の眼の前で膝を折ると、襟の間からふくよかな胸の谷間が見えた。

 恥ずかしい話だが、僕はたちまち反応してしまった。

 僕のイチモツはすぐに大きくなり、パンツの隙間から顔を覗かせてしまった。

 医師はそれを目にし、思わず声を上げた。

 「こいつはスゴイ。三十㌢を軽く超えそうだ」

 医師は好奇心が勝ったのか、あろうことか僕のイチモツを直接手で触れた。

 もちろんだが、刺激を与えられ、僕のイチモツは膝に届きそうなくらい伸びた。

 看護師が脇で見ていたが、それを見て、何故か嬉しそうに声を掛けた。

 「こういう男性はこれまで見たことがありません」

 医師がすぐに答える。

 「記録に残る巨大なイチモツだぞ。皆を呼んで見せたいほどだが、君にとっては恥ずかしい話しだろうからそれも出来ん」

 ここで、医師が我に返る。

 「スマンスマン。あまりに立派だったから、興味本位の話し方をしてしまった。君は中一だということだから、きっとこのことを悩みに思って来たかもしれん。でもそんな必要はないんだよ」

 「え。僕はコイツのおかげで散々苦労してますけど」

 医師が大きく首を振った。

 「昔のことだ。成人映画産業にハリー・リームスという男優がいた。世界で最もイチモツが大きいと言う理由で、その男優はひと財産を築いた」

 一体、この医師は何の話をしようと言うのだろう。僕は不審に思った。

 医師が構わず話を続ける。

 「その男優のイチモツの長さは三十㌢くらいだった。君のはそれを凌駕するほどのキョコンだ。それだけで君はキョマンの富を築けるんだよ」

 「僕はひと前にこれを晒すつもりはありませんが」

 まったく迷惑な話だ。

 すると医師はこう答えた。

 「見せる必要はないんだよ。コイツを持っているというだけで武器になる。誰も君には勝てないからね。神社を開いて神主になれば、何万人もが拝みに来る。君自身がご神体で『金精さま』なんだよ」 

 この時、何やら後ろで人の気配がしたので、振り返ると、背後には二十数人の女性が立っていた。

 この病院の看護師全員が僕のイチモツの噂を聞き、見物に来たのだった。

 ここで覚醒。

 

 このまま文字に落とせるのか?と思うほど、変な夢だった。

 前日に神社の前で写真を撮ったが、私の前に幽霊の腕が突き出ていた。

 地面から上半身が出て、後ろから抱き付いたと見えるが、その腕がちょうど巨大なイチモツのように見えた。あえてコメントは付けなかったのだが、その情景が脳裏に残り、そんな夢を観させたのだろうと思う。

 私の鼻はピノキオのように伸びたが、股間ピノキオだった。

 さすが夢で展開がぐちゃぐちゃになっている。

 だが、まさに夢らしい夢で、これは「体調が著しく改善されている」ことの表れだと思う。

 ドラスティックな変化とは、まさにこのことだ。一年前も二年前も私は「ほぼ死人」だった。 

 

追記)夢を観た原因がこれ。

 

◎霊界通信 「四月十九日のセルフチェック」

霊界通信 「四月十九日のセルフチェック」
 最寄りの八幡さまにセルフチェックに行った。
 この日はあまり響かぬ日だったようで、声も触感も左程感じない。
 画像を点検したが、前後の景色に無いものがいくつか出ていたが、はっきりと「これはこういうもの」と推測出来るものはない。
 ま、こういう日もある。

 ただ、三枚目の画像の右側に眼が開いていたので、異変が現れようとしていたと思う。煙玉が重なっているので、拡大すると逆に見え難くなるのだが、景色の前後にこれと見紛うものはない。
 女性の眼で、嫌な感じが無いのは、私サイドの者だからだと思われる。
 巫女さまか、それに近い者ではないか。眼から受ける印象は、小鹿野の旅館の窓に出た眼とよく似ている。

 最後の画像では、右脚に前からしがみ付く者(たぶん男)がいて、これが原因で私の右脚が画像から消えた。直前に立たれると、光の波の相殺作用なのか姿が消えてしまうことがよくある。
 だが、私とその男の間に子どもがいると思う。
 女児でおかっぱ頭だ。
 となると、すぐに「お稚児さま」のことが思い浮かぶ。

 私はそもそも神霊体であるうえに、一度死んだこともある。外に出る度にぞろぞろと背後に良からぬ者を引き連れて帰ることになる。だが、いつも仲間がぎりぎりのところで守ってくれて来た。

 御堂観音の時の「子どもの声」も、その頃には既に「お稚児さま」が見守っていてくれたのかもしれん。

 帰宅してすぐにジュースを供え、「いつも傍にいてくれて有難う」とお礼を伝えた。
 「生きている間も、さらに死んでからも俺は独りではないや」
 死出の山路の向こう側にある怨霊の世界に迷い込むことはなさそうだ。
 このことを実感すると、ぱあっと胸に青空が拡がる。

 ここではっと気が付く。
 もう一人の「お稚児さま」の方もなくてはならない存在だった。すぐに「こりゃスマンでした」と謝った。

 

 ちなみに、この神社の境内を縦断するように、「通り道」があるようで、その上に立つと、あの世の住人がぞろぞろと近寄って来るようだ。今後はその検分も心掛ける。

 ちなみに、さすがに神社の境内で、寄り憑いたように見えても、あまり悪さを働く者はいないようだ。

◎病棟日誌 悲喜交々4/18「呼び止められる」

病棟日誌 悲喜交々4/18「呼び止められる」
 岸田内閣が「国民年金の納入を65歳まで延長」方針を出したので、家人の同僚が「すぐに年金の給付申請をする」と言っていたそう。その同僚は61歳くらいらしい。
 「公務なんだから、給料をもらっていれば社会保険料や年金は自動的に控除されるんじゃあねえの?」
 「でも外国語のTAで非常勤の扱いだから」
 一定の給料があれば、年金の支給額が減らされれるわけだが、「貰う側」になっておけば、そこから「また納付しろ」なんてことは起きない。ま、岸田の場合は何をやらかすか信用できないが。
 わざわざ米国に行き、「日本の同盟国である中国は」と言い放つ奴だ。少しでも思っていなければ、そんなのは言葉に出ないと思う。米国議会で拍手喝采されるのは、岸田が「世界のATM」の役を務めてるってことなんだよ。外遊の度に5千億とか8千億とか撒き散らすのに、帰国すると「増税」。何なのコイツ?
 そろそろガードマンを二重三重につける必要があるんじゃねーのか。

 外国語のTAや講師は、週四日勤務で非常勤扱いだ。だが、その四日に一週分の授業を全部詰め込むから、朝から夕方まで総てのコマが詰まっている。そんな教員が日本人の常勤に一人でもいるのか?授業の準備などは、当然家でやるから事実上、五日半は働いている。夏冬休みの時には給料はない。
 五年くらい働くと、常勤にしなくてはならないから、形式だけはそれっぽくしてあり、去年あたりからボーナスが出るようになった。でも、額が3万円だ。お年玉レベルで「支給した」という証拠づくり。
 だが、負担の方はまるっきり常勤と同じ。組合費まで払う。
 最近は外国人の生活保護費がどうたらとか、外国籍叩きをする風潮があるが、悪質な「福祉泥棒」は中韓の一部で、真面目に働き納税する永住外国人は、割を食うことが多い。家人は二十年以上公立小学校で働いているが、パート扱いのまま。

 のっけから脱線した。
 この日、病棟に行くと、遠くのベッドから声を掛けられた。
 先輩患者のAさん(五十台女性)だ。
 「心臓の手術をして来たんです。生還しました」とのこと。
 ここで頭の中に横井さんの言葉が蘇る。
 「恥ずかしながら帰って参りました」

 「そりゃ大変でしたね」
 「腎不全患者は心臓が悪くなりますから、大動脈を治療しました」
 入院治療が一週間ならバイパスみたいな外科手術では無いのだな。カテーテル治療の近辺か。当方が大動脈三本が塞がった時にはひと月入院した。

 さて、着替えに行く時にNさんのベッドの前を通ったので、「大丈夫ですか」と声を掛けた。足の指を切り、骨の近辺に肉が盛り上がるまで入院したので、こちらはほぼふた月だ。当方もNさんと紙一重の状態だったが、今回は「徳俵の内側」に着地した。
 今の具合などをあれこれ聞いた。

 ベッドに戻ろうとすると、ガラモンさんが近寄って来た。
 ガラモンさんは最近かなり痩せて、遠目ではそれがガラモンさんだと分からなくなった。もはや「ガラモン」ではなくなっている。怪獣みたいな風貌が愛嬌があって良かったが。
 「何だかこのところ足の指が痛いんだけど」
 当方やNさんの身に起きたことが自分にも起きないかと心配になったらしい。
 「兆しは足の側面なんかが痺れる感じですね。それと指先が痛くなったりします。一番怖いのは外傷で、豆なんかも絶対に潰したらダメです」
 たった一日二日で化膿し、ぐちゃっと潰れる。足全体が紫色になり、激痛。ところが、そうなるまでは神経障害のため、痛みを覚えない。
 当方は数日前に柱に足をぶっつけたが、二日目までまったく痛みを感じなかった。三日目にして足の甲全体が腫れた。

 ま、前に当方の足がおかしくなったのは、廃病院の二階に女の幽霊が立っているのを見た直後だった。その日の夜に一気に化膿し、両足が紫色に腫れあがった。そうなるまでたった一日。
 だが、そんな経緯は、普通に暮らす人には話せない。ひとのかたちをして、かつおどろおどろしい姿を目の前で晒してくれて、そこで初めて「そこに理不尽な何かがいる」と分かる。それが普通だし、そんなことは滅多に起きない。
 当方はカーテンを見ただけで、その後ろに「何かがいて、こっちを見ている」と分かる。幾度も経験があるからで、一種独特の気配があるのだ。障子の前に立っている時に、その障子のすぐ向こう側に人が立って居れば、誰でもそれと分かる。これに似た感覚だ。
 カーテンの陰の気配を確かめるために、そこを注視すると、女は「待っていました」とばかりに走り寄って来たようだ。こちらの心の動きで、相手がこちらの存在を悟るわけだ。コイツを切り離すのには数か月かかった。
 今も時々、廃病院の前を通り、やっぱりその二階のカーテンの陰に女が立っているのだが、さすがに前と同じ轍は踏まない。
 「俺はお前と関りが無いし、興味もない」とすぐに別のことを考えると、先方のアンテナにかかり難い。

 この日も「お茶屋のオバサン」の姿は無し。
 また入院病棟に戻ったのかもしれん。
 後ろに「黒いひと」が出ているので、今が正念場だ。
 とりあえず、「ご神刀斬り」でそいつを遠ざけて、時間を稼ぎ、対処策を講じる必要がある。
 だが、こういうのは当人には伝えられない。
 殆どの人が、「お迎え」にも「幽霊」にも対峙したことが無いから、受け入れられないからだ。逆に「人が困っている時に変なことを言うな」と怒るだろう。
 
 「深刻な病気になる前に準備を始めろ」というのはこういうことだ。「死後の存在はある」ことを認識し、心と魂の連動が可能になるような体勢にして置けば、不都合が芽吹いた段階で対処出来る。
 「受け入れる」ということが、「信じる」ことへの第一歩だ。
 「信じ方」を会得すると、心→魂のスイッチが入るようになる。
 身体機能は有限で、死を避けられる者は一人もいないのだが、「無用に死期を早める」事態を避けられる。
 「お茶屋のオバサン」は現状を放置すれば、もって数か月だと思う。自分自身が実際に体験したので、顔を見る度に戦慄を覚える。

 何だか分らないような資金提供に五千億だかを投げるのを止めれば、「子育て支出金」みたいな増税はしなくてもよいじゃねーか。少しは自国のために使えよな。外国と不法在留外国人だけを支援する愚かな総理をこのままにしておくと、いずれ中国の属国だ。ゴラムの手下になりたいのか?

◎病棟日誌 悲喜交々 4/16 「今に感謝」

◎病棟日誌 悲喜交々 4/16 「今に感謝」
 以前より体調が良いと言っても、所詮は障害者だし、また否応なしに身体機能の劣化が進んでいる。先日、傷みのない歯が粉砕消滅したが、たぶん、同じことが体中で起きている。
 原因不明の腹痛や下痢が頻繁に起きるし、久々に「雷」も落ちた。この「雷」というのは、ある一瞬で「ダアン」とスイッチが切れる感じのことだ。(ここで電話が鳴る。)
 ま、脳内の毛細血管が破裂しているのかもしれんが、「ダアン」の感じがちょうど雷に似ている。
 しかし、この世で最も幸せな死に方は、「道を歩いていて、突然雷に打たれて死ぬ」ことだと思う。苦痛を感じる暇がないし、寝たきりになり周囲に迷惑をかけることもない。
 母は亡くなる日の昼まで、自分でトイレに行っていたが、なるべくそうありたい。

 前絵沖が長くなったが、要は「この日は体調がイマイチ」ということ。
 息子が就職したので、朝は妻子三人を駅まで送るのだが、それぞれ駅も時間も違うので、三回往復する。その後で自分の通院だ。
 「さすがにこれはキツいよな」
 そう思った瞬間、頭の中に返事が来た。
 「皆が健康で、それぞれ働いているんだし、家族の役にも立っている。今は幸せだと思うよ」
 ま、その通り。息子はゲームクリエイターの職種に就いたが、大学では二年間ニート生活をした。結局、卒業せず、休学してネット産業に就職。その世界では学歴が関係なく、中卒でも構わんそうだ。もちろん、「仕事が出来れば」で、適応できぬ者はどんどん辞めて行く。力が足りねば、辞めざるをえない。
 息子も何か月か思案していたので、「別に、日本全国には空いた家と化してくれる畑が山ほどあるんだし、しくじったら農業をやるつもりでやれるところまでやればいいんじゃねーか」と助言した。もちろん、休んでいる田畑を使えるものにして、そこから作物を収穫できるようにするのは、たぶん、IT産業よりもキツいと思う。西瓜を大きく丸くして甘くするには、尋常ならぬ知識知恵と努力が要る。
 だが、前に踏み出さねば、何も生まれない。
 当方の余生は長くないから、息子にヒッキーのまま家に居られるよりは、外に送り出した方がよい。
 「なるほど。多少キツかろうが、これも進歩だわ」

 ここでハッと気が付く。
 「さっき『今は幸せだと思うよ』と言ったのは、俺の声じゃない」
 頭に響いたのは、子どもの声だった。
 しかも、前に聞いたことのある声だ。
 あれは、岩手町の国道を南下している時のこと。
 当時は脾臓胆嚢の筋膜腫に苦しんでいたが、この時もそれが痛み出した。「休む場所を探そう」と思った時に、「御堂観音」の看板が目に入った。
 その時、「声」が聞こえた。
 「ここにお参りして、泉の水を飲めば治るよ」
 この時の子どもの声と同じだった。



 

◎霊界通信 この日のセルフチェック(R060415)

霊界通信 この日のセルフチェック(R060415
 市役所の帰路、八幡さまに参拝した。
 この日は例大祭で、行事のため社務所が閉まっていた。

 ポイントに立ち、二分すると、周囲から集まっているのが分かる。これは体の数か所に「手が掛かっている」という感触があるので、すぐに分かる。
 「俺は神霊体だから、霊を引き寄せるのは当たり前のことだ」
 そう思うと「別にフツー」のことに思える。
 画像では朧気で何も見えぬ筈だが、当事者には、鮮明な「触感」がある。
 この区別がつくようになったのは、稲荷の障りを得た時の「蜘蛛の糸」の触感を体感してからだ。あの経験では散々苦しめられたが、その一方で今は役に立つ面がある。
 視力に頼ると、「たまたまそう見えた」事態を排除できぬわけだが、触感の方はよりリアルに判別できる。
 触覚>聴覚>視覚の順に精度が高い。「こう見える」はあまり信用せずに、これへの対処は「念のため」だと思えばよろしい。

 今の境遇から助けて欲しくて寄り憑くのであれば、幽霊たちに悪意は無く、ご供養を施せばすぐに離れる。
 一方、左腕には腕輪が嵌っており、これは誰の眼にも明らかだと思う。たぶん、「約束」を示すもので、これが出る時には、いつも「巫女さま」が傍にいる。死後に果たすべき約束があるようだ。
 たぶん、死後にこの世をあてもなく彷徨う者を拾って、幽界に送る務めのことだ。それなら現状と変わりない。

 最後の画像はTPOがピタッと合った瞬間だが、立ち位置が少し前過ぎた。

 今の季節の正しい時刻は午後三時十五分頃らしい。
 時間と配置により、ガラス窓に見える世界が変わるわけだが、要するに日光の傾斜角に関係しているということ。
 他者には伝わらぬ話なので(ほとんどの人には見えない)、画像を掲示しても意味は無いのだが、私と同じ境遇の者であれば、何となくこの感覚が分かるし、対処の仕方が伝わると思う。
 ま、「とにかく迅速に処置する」ことが肝要だ。
 ここまで辿り着くのに幾年も掛かった。

 

 私と同類の十数人が、毎日必ず「霊界通信」を見ている筈だが、他の人よりも煩わしさや危機感を感じて暮らしている筈だ。だが、危機を悟ってしまう事態を逆手に取り、これを利用できる。

 ものは考えようだ。

 ま、母の身の処し方の通り、周囲には黙っている方が得策だ。どうせ他人には伝わらないから、「変人」の立ち位置になる。まさか霊能者を自称するほど無知ではあるまい。誰にでも感情があり、霊感もあるが、後者は使い方を知らぬだけ。


 あの世を観察することの利点は、「危機を未然に知ることが出来る」という点に尽きる。まだ芽のうちに摘んでしまえば、悪影響を縮小できる。
 いつも記すことだが、危機が来てからでは間に合わぬことが多く、何ひとつ問題のない時から「心と魂」を近づけて置く必要がある。病気になってから、神仏を頼っても何も変わらない。
 死は避けられぬが、心→魂へのスイッチの入れ方を知っていると、死期をある程度遠ざけることが出来る。

◎夢の話 第1127夜 子どもたち

夢の話 第1127夜 子どもたち
 十五日の午前四時に観た夢です。

 左右の眼の視力差が著しく、景色の概要は分るが、両目を使う必要があるケースはよく見えない。文字など細かいものはダメで、また遠くを見る時も左右いずれか片方で見るから遠近がよく分からない。
 結局、左目の手術を受ける前と大差ない状況だが、それもその状況に慣れることで、不都合は減る。スマホはダメだが、PCなら文字を拡大して見ればよいし、景色の方は遠くを見る練習をして慣れれば問題はない。
 そこで暇を見つけて、高台に行き、遠くの景色を眺めることにした。高い場所から、遠くの山々や街の様子を眺める。

 この日も山の上から四方を眺めていた。
 最初に富士山や、その手前の山々を眺め、次は眼を近くに転じて数キロ先の町の様子を眺めた。
 次に一キロ下の小さな遊園地を見たが、この日は休みらしくゲートが閉まっていた。
 休日が続いた跡には、園を休みにしないと、従業員が休めないわけだ。この日はたまたまそんな日だった。
 乗り物はすべて止まっており、土産物の販売所も照明が落ちていた。人気がまるでない。
 施設や物の詳細は見えず、ぼんやりとしているが、何となく配置は分る。
 ぼおっと眺めていると、店の陰から人の姿が現れた。
 「あれあれ。今日は休みの筈だが」
 小さい子どものよう。
 一人が現れ、次にもう一人。それから二人三人が集まって来た。
 一キロ離れているので、人影自体は蟻の大きさだ。だが、動き方、しぐさでそれが子どもだと分かる。
 「休日の遊園地に子どもがいるのか」
 うーん。
 気になったので、カメラを取り出し、ズームで景色を拡大して見ることにした。
 望遠機能をマックスに上げ、園の中を見ると、やはりそこにいたのは子どもたちだった。
 だが、この日は快晴だったのに、レンズの中の子どもたちは霧に巻かれている。「あれ?」と思い、カメラを外すと、やはり霧も煙も出ていない。
 もう一度ファインダを覗くと、子どもたちの姿は見えたり消えたりしていた。霧のせいなのか?
 うーんと唸る。

 すると、新たにもう一人の子どもが現れた。
 着物を着て、ちゃんちゃんこを羽織っている。
 「あれあれ。あの子はお稚児さまじゃないか」
 俺にとっては身近な存在だから、見間違うことはない。
 じゃあ、あそこにいる子どもたちは、きっとこの世の者ではないのだな。
 人が集まるところには、幽霊も集まる。遊園地は子どもの喜ぶ場所だから、子どもの幽霊が来るわけだ。

 あの子はそういう子どもたちの中に入って何をやっているのだろう。あるいはやろうとしているのだろう。
 そんなことを考えながら、お稚児さまを見続ける。
 すると、お稚児さまが俺の視線に気付いたように、俺の方に向き直った。
 やや、あの位置から俺のことが分かるのか。
 お稚児さまは、周囲の子どもたちのことを指差し、そして次に俺のことを指差す。
 「この子たちはの世話をするのはあんただよってか」

 ここで俺はお稚児さまの意図を解した。
 お稚児さまは、この地で彷徨っている子どもたちを集めていた。浮かばれぬ子どもの霊をあの世に送るためだ。
 だが、お稚児さまの務めは集めるところまでで、あの子たちを引き連れてあの世に導くのは、「渡し守」すなわち俺の務めなのだった。
 「おいおい。俺はまだ死んでねえぞ。この役はまだ早くねえか」
 その疑問にはすぐに答えが返って来た。
 この世にだって本業ではなくバイトがある。あの世にも、同じような務めがあるのだ。死神が忙しい時には、俺みたいな者が搔き集められるらしい。
 ここで覚醒。

 

 「お稚児さま」の面白いところは、この子が「はっきり見える人」と、「まったく見えぬ人」とを分かつことだ。私など「見える」者には、これが「見えぬ」者の気持ちがまるで分からない。逆に言えば、見えぬ者は、私たちが何を言っているのか理解出来ないということだ。

 お稚児さまを見て、その存在を信じるだけで、心が晴れ、人生の見え方ががらっと変わる。瞼を開き、現実を見ることが大切だ。この場合の「現実」とは、死後の存在はあり、「死ねば終わり」では到底ないということだ。そうなると、一生とは「自我が生成して消滅するまで」で、その折り返し点が肉体の死になる。生き方、死に方を根本から組み立て直す必要がある。

◎病棟日誌 悲喜交々4/14 「わんこそばなら」

病棟日誌 悲喜交々4/14 「わんこそばなら」
 治療後に食堂に行くと、たまたまトダさんが一人でいた。食事をほとんど食べずに終え、家族の迎えを待っていたらしい。
 「食べられていますか?」と訊くと、「あんまり」との答えだ。やはり食べられていない。
 「わんこそばを食べたことがありますか?」
 「いえ。まだです。食べてみたかったけど」
 そこで「わんこそば」の効用を伝えることにした。

 「わんこそば」は、温かくも冷たくもない「温い蕎麦」だ。
 かつひと椀の傍の量は少量だから、ひと口で食べられる。
 食の細い者でも、その量をするっとなら食べられる。
 一度食べ物を口にすると、血糖値が上下向するから、その変化により腹が減る。空腹感があれば食べる気になるので、次はもう少し食べられるようになる。要は最初のひと口が重要だということ。
 素麺はもはや受け付けぬし、栄養飲料も飲めない。食べようと思って料理を始めると、その途中で嫌になる。
 「二年前にその状況になり、十二キロ痩せました」
 実際には、「稲荷の障り」によるものなのだが、そこは受け付けられぬ人が多いので、それを省いて話した。

 ま、すぐには無理だ。現状では、とにかく最初のひと口を食べる工夫をするのが一番だ。
 「あとは、なるべく皆で一緒に食べると、食が進みます」
 「確かに孫たちと食べる時には食べられます」
 どうやら、家では一人で暮らしており、娘が孫を連れて時々訪ねて来る暮らしをしているらしい。
 当方の直感では、「ダンナは割と早くに亡くなった」「家にはお祖母さんのような女性がいる」というものだったが、正解は半分だった。
 「娘がまるで私の母親のように煩く言うんです」
 ああ、それか。口やかましく言うのはお祖母さんではなく娘だったか。
 でも、家の中に「年寄り」の姿が見えるような気がするなあ。
 それがあんまりよくない方に働いている。
 「晴れた日には全部の窓を開け、自分もなるべく日光を浴びると改善します」
 ババアの影を叩き出せ。ま、口に出しては言えんけど。

 透析時間が「三時間半だったのに、これから四時間になります」と言う。まだ腎不全になりたてだったのだな。
 それなら、毎日が絶望感に溢れている。
 家に一人でいればなおさらで、孤独感や絶望感が食欲を奪う。
 こんな風になった自分を責め、さらに悲観して「もう死んでも良い」「早く死にたい」と思う。
 当方もそう思っていた。
 だが、望まなくとも、周囲はバタバタ死んで行く。六十人の患者がいれば、半年でその半分が入れ替わる。
 高齢になり多臓器不全でこの病棟に来れば、末期症状が腎不全と肺水腫だ。脳、心臓、肝臓で死ななければ、ほぼ全人類が同じ道を辿る。
 透析など、脚を失った人の松葉杖と同じなのだから、どうということはない。松葉杖や義足の人が自力歩行に向けて装置や訓練をするのだから、腎不全患者も自分で処置できるような装置や方法を採用する方に進むべきだと思う。足にシャントを作れば自分で打てるし、あるいはポータブル機械を認可すれば家族が出来る。医療費は三分の一以下になるし、第一、心が救済される。
 だが、現状では自力で対応できそうな人よりも、「死に間際の一瞬」にいる高齢患者の方がはるかに多い。
 ともあれ、透析装置を、義足や松葉杖の位置に近付けることが最大の課題だと思う。

 女性だけに、トダさんにこれ以上の助言は出来ないのだが、何とか今の危機を乗り越えて欲しいと思う。
 数か月後に、生死を分かつ危機が来る。
 心を前向きにするには、愚痴を零せる友だち(できれば異性)がいればよいのだが、患者にはそういうのがもっとも難しい。
 知り合いになるのは医療従事者か患者しかおらず、前者は対象外で、後者は自分のことで精一杯だ。