日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第925夜 二万四千回目のサヨナラ

◎夢の話 第925夜 二万四千回目のサヨナラ

 21日の午前2時に観た短い夢です。

 

 我に返ると、目の前のテーブルの向かい側には女性が座っていた。

 女性は昔、俺が付き合っていた彼女だ。

 だが、もう何十年も前に別れている。

 「あれあれ。これは夢だな。しかも前回の続き」

 

 学生時代に付き合っているが別れる。その後社会人になって再会し、また別れる。

 さらにその後再開し、また別れる。夢はその繰り返し。

 「今度は何だよ」

 

 するとその女性が口を開く。

 「今度、わたしの知り合いに会ってくれない?」

 何だっけ、この話は。ウーン。

 確か、前回の夢では、今の彼氏がオーストラリア人かなんかで、半同棲状態だったっけな。

 それじゃあ、たぶん、結婚するってこと。幾度も別れたが、今度は正真正銘の最後になるのか。

 「やめとくよ。俺は※※ちゃんの親でも兄弟でもないからな」

 紹介される意味が分からん。

 

 窓の外を見ると、都市近郊の駅前通りの街並みが続いていた。

 「もう勘弁して欲しいよな。あれから何年になる。幾度も別れの気分を味合わされたが、一度も『サヨナラ』を言われたことがない」

 でも、この女性に限らず、俺を捨て去る女は「別れます」とも「元気でね」とも告げずに、ただ去って行くのだ。

 屈辱だよな。

 だが、「また去られた」と思い諦めると、友人の間に、俺が女性を「捨てた」みたいな話になっていたりする。

 

 俺はここで女性に向き直った。

 「最初に会ったのは何時だっけ?高校生か、大学生?俺はその時から今に至るまで、延々とあなたに去られ続けているんだよ。もう解放して」

 ここで覚醒。

 

 とりとめのない夢だが、この夢を現実のその女性と付き合っていた頃から見続けていた。

 学生で、実際に付き合っていた当時から、「この人はいずれ去って行く」という筋の夢を観続けていた。

 それが現実になり、数十年経っても、夢だけは連続ドラマみたいに、いまだに続いている。

 細かいストーリーがあるのだが、さすがに書く気にはなれない。

 

 通常は、「別れようと決意した側」は、別れた相手のことをよく憶えているそうだ。

 ところが、「相手に去られた側」はきれいサッパリ相手を忘れてしまうとのこと。

 ま、考えても仕方が無いから、サバサバと見切りが付けられるわけだ。

 しかし、この夢では立場が逆になっている。

今も亡霊のように現れては、その都度「別れ」を告げる。