日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎深夜の「声」が消える

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深夜の「声」が消える

 気候が良くなって来たので、いつも仕事部屋の窓を開けている。

 毎日、十本から二十本くらいお焼香をするので、煙が籠らぬようにする意図もある。

 この一週間くらいの間、深夜二時から三時台に、窓の外から話し声が聞こえていた。

 最初は近所の人が家の中で家族と話す声が聞こえているのかと思っていた。

 しかし、その声が語り掛けている筈の相手の声がまったくしない。

 ほぼ、独白に近いボソボソ声だ。しかも、耳を澄ませて聴くと、何やら恨みか愚痴を語っているかのような内容だった。

 「あれあれ。これってもしかして」

 この世の者の声ではないのかもしれん。

 そう疑ったりもしたが、別段、「声」以外に何かが起きるわけではない。

 今は仕事らしい仕事が殆ど無いから(がっくり)、私は夜中に起きて原稿を書いている。

 外から声が聞こえても、小さな声だから、煩わしいとは思わず、またそんなことに構ってはいられない。

 

 その「声」が昨日から聞こえなくなった。

 さしたる影響が無かったとはいえ、「あの世」からの囁き声を疑ってもいたので、気が楽になった。

 例年、この時期は「一年の内でもっとも幽霊が出ない時期」だから、これからひと月くらいの間は「フツーのひと」でいられる。

 となると、反対に人事が降って来るわけだが、過去一年以上、ほとんど仕事らしい仕事が無かったので、やりくりが大変だ。

 破産が間近で、苦しいことには変わりないが、「鳩尾のずっしりとした重さ」を感じずに済むから、むしろ楽だ。

 

 「既に死んでいる者」に足を引っ張られないのなら、まあどうにかなる。

 ここで改めて、「一体あの声は何だったのだろう」と考えて、声のしていた方向で何か思い当たるものがあるかどうかを考え直してみた。

 すると、もはや十数年前のことだが、家の近所で画像に「女の顔」が出たことがあるのを思い出した。

 夜中に帰宅したのだが、道を歩いていると、何やらザワザワ感があったので、たまたま持参していたカメラで撮影したのだった。

 すると、その写真には煙玉が幾つか出ていた。

 しかし、煙玉自体が「ほぼ大半が自然現象で、まれに説明のつかぬものがある」という程度だ。

 気にせず、そのまま忘れてしまった。

 それから十年が経ち、つい数年前になり写真を整理した時に、その写真が出て来た。

 改めて見直すと、右側に女性の顔が浮かんでいた。

 すぐ目の前に立っていたらしい。その後ろには子どもらしき顔も見える。

 撮影当時は、自宅の周囲は大半が空き地で、野原だったのだが、十年の間にほとんどが宅地に化けた。

 景色が激変したので、あまり気に留めなかったわけだが、今にして深夜の「声」があの辺りだということに気が付いた。

 

 もし、十数年前から今まで、ずっとこの周囲に「女」が残っていて、自分のことを私に知らしめようと訴えていたなら、本当に気の毒だ。

 はっきりしたことは言えぬが、とりあえず慰めようと、お焼香をした。

 

 この直後、はっきりした変化が起きた。

 このところ、長いこと肩や頭がずっしり重かったのに、「あの女では」と気付いた時から、すうっと軽くなって来たのだ。

 お焼香が終わる頃には、まさに「身も心も」軽くなった。

 

 ちなみに、この先に教訓めいた見解はつかないので念のため。

 何だか、宗教の勧誘にあるような展開だが、私は宗教を信じない。

 手続きを飛び越して、直接、「あの世」を観察しようとしているためだ。

 

 いずれにせよ、おそらく七月の頭までは、あの世的な異変から概ね解放される。

 できれば、ずっとそのままでいて欲しいところだが、ま、そこまでは望まない。

 

 以上は、私一人だけに関わることなので、他の人にはさしたる意味がない。

 「気のせい」「想像や妄想」の域と同じ。