日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「思い出してみましょう」

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「白い着物の女」関連画像

「思い出してみましょう」

 フェイスブックは「一年前」、「三年前」の書き込みを「過去の記事を思い出してみましょう」と再掲する。

 概ね日付の同じ月日だ。

 だが、関連月日とは関わりなく、時々、過去の画像が脈絡なく出ることがある。

 つい先ほど、掲示画像の②が出たが、これと⑦は割と頻繁に出る。

 いずれも平成三十一年を中心とした「O町」ましくは「白い着物の女」に関連するものだ。

 

 身近にこの女の気配がしていたのは、平成二年頃までで、神社猫のトラが死んでからは、パッタリ出なくなった。

 もしかすると「私ではなくトラに関連していたのか」と思ったりもするが、④を見ると、少なからず私にも関わっていたと思う。

 ①はH29年にO町の温泉旅館で撮影。家人の背景にガラス映像が見えるが、遠くに女の姿が映っている。ガラス映像なので私の後方ということ。

 ②はH31(R元)年撮影。吹き出しの左に女性の「眼」だけが映っている。

 この画像がもっとも頻繁にFBに現れる。

 ③も同年撮影。猫(トラ)のいた神社の神殿のガラスに、私を背後から抱き抱える女の姿が映っている。O町の女と完全に一致するのかは分からない。

 ④は③の状況を分かりやすく拡大したもの。

 ⑤は同年四月にO町の同じ温泉旅館の通路で撮影したもの。空気中に小さい煙玉が浮かんでいるのだが、自然現象と区別がつかない。また、私の場合、煙玉はどこの地で撮影しても頻繁に写る。撮影のタイミングが合うと、体の周囲に百個くらいが回る。

 ⑥は同日中に玄関前で撮影したもの。これが見える人は僅かだろうが、私の背後に着物の女が立っている。この旅館では、いつも小さな声が聞こえるのだが、私だけでなく家人も耳にする。だが、もちろん、殆どの人には何も聞こえぬ筈だ。

 関りを持たぬ者には、何も見えぬし聞こえない。

 ⑦は⑥の拡大画像。今でもこの時の気配は記憶に新しい。

 ⑧はつい先ほどFBに「振り返ってみましょう」と現れた記事の画像だ。

 

 撮影当時はさすがに薄ら寒いと思うこともあったが、何ら不審な出来事も不吉な展開も無かった。

 改めて思い出すと、「女に敵意は無かった」ということなのだろう。

 今のように、人生の壁に当たっている状況では、この女のような存在がいてくれた方が有難い。

 「自分独りで生きているわけではない」のは、この世の者だけではないと思うが、この頃と違い今は身近に感じなくなっている。

 今は体調も人事も「底」にいる。問題や障害が起き過ぎだ。

 「助けて」とは言わぬが、傍で見守る仲間の視線があって欲しい。

 

 画像は極力、元のものに近いかたちに戻した。

 本人以外の「関わりの無い者には見えない」ことが多いので、女の姿を認識できる人は少ないと思う。

 私が当初から「ここにいる」と指摘出来たのは、最初に現れた温泉旅館で「(そこには居ない筈の)人の声が聞こえた」からだ。

 不思議なもので、身近に「あの世」を感じている時には、薄ら寒さとざわざわ感を覚えるのだが、これが消えてしまうと、逆に不安の方が勝るようになる。