日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎タラの芽とウルシ

タラの芽とウルシ

 子どもの頃、遠足で姫神山に登った。

 私的にはそこは裏庭同然なので、全然面白くない。まったくやる気がなく、最初からダラダラだった。

 登山口から数十メートルほど登ったところに、「一本杉」という杉の大木が立っている。

 その裏手には大きな岩があり、渓流がチロチロと流れていた。

 そっちの大岩に腰を掛けてボケっとしていると、頂上を目指し昇って行く大人たちが、口を揃えて「大丈夫か?」「平気なのか?」と声を掛けて行く。

 「なんでそんなことを訊くのか」と不審に思ったが、後に体育の教諭が前を通り掛かり、教えてくれた。

 「おい。君の後ろにあるのはウルシだぞ。触ったらかぶれるからな」

 慌ててその場所を離れたが、たまたま直接触れてはいなかったらしく、帰宅後も大丈夫だった。

 人によっては、ウルシの木の下に立っただけでかぶれるそうだ。

 

 さて、春先の山菜と言えば、タラの芽だ。親の世代にきちんと教えて貰えば良かったが、山菜について学ぶのを怠り、「こんな感じ」としか覚えていない。

 ま、遠目で穂の形が似ていても、タラの木にはトゲトゲがあるし、ウルシの茎(または枝、幹)は赤黒い。

 「色だけで分かるじゃねーか。間違うことなど無いよな」

 そう思っていたが、山家育ちの看護師に「ウルシには緑色の枝をした種類がある」と言われて、ぞぞっとした.

 足腰が山歩きには向かなくなり、助かったかもしれん。

 タラの木そっくりな生え方をする木で、きちんと芽を食べられる種類の山菜もあったと思うが、もはや名前すら忘れた。

 

 と書いて、確か「コシアブラ」みたいな名前だったことを思い出した。

 春先の同じ時期に芽を出すのは、タラ、コシアブラとウルシだった。タラの芽はトゲトゲで分かるが、コシアブラとウルシの違いは穂先の根元の毛の有無と茎の色だ。

 素人目では茎の色が目安なのだが、緑色のウルシがあると聞くと、ちょっと不安になる。

 

 ところで、父は「いずれ家を建て直す時のために」山を買ったことがあるのだが、山に生えていたのは大半が杉の木だった。

 幾らか灌木も生えていて、タラの木もあったのだが、春先になると、他人の山に勝手に入って芽をタラの芽を摘んで行く者がいる。

 そこで父は予め芽の出そうな枝の先を切り取って来て、バケツの水に浸けて置いた。自然の力は凄いと思うのは、そのやり方でもきっちり芽が出たことだ。

 

 連休の頃になると、その杉山に連れて行かれ、枝払いの手伝いをさせられた。杉の木がまっすぐ伸びるのは、手入れをして横に出る枝を払っているからで、これを怠ると松の木みたいに横に拡がってしまう。

 材木として使うには、真っ直ぐ伸ばす必要があるから、早いうちに枝を払うわけだが、職人を使うと手間賃が掛かるから自分でやった。連休には市場は休みだし、こどもたちの学校も休みだ。そこで、祖父と父子の四人で山の枝払いをした。

 だが、春先の北国の杉山だ。何が起きるのかは容易に想像がつくと思う。涙と鼻水、咳が止まらず、心底「悪夢」だと思った。(その頃には「花粉症」という言葉はまだない。)

 小中学生の頃にはいつも山の枝払いをさせられたので、連休に家にいた記憶はない。もちろん、連休中に行楽にも行ったことも無い。

 そうやって苦労して育てた杉山だが、上の叔父が家を建てる時に、父に無断で木を切り建材に充てた。

 さすがに騒動になったが、あの叔父なら仕方がない。それくらいの非道は当たり前だった。戦後は目黒を乗り回すカミナリ族だったし、ヤクザを経た後には、馬喰になった。要は荒くれ者だ。

 父は結局、山を手放したのではなかったのではないかと思う。杉の木が無くなれば、もはや用無しだ。

 しかし、子どもらにとっては山が無くなることは「杉の枝払いから解放された」ということだから、むしろ叔父に感謝したいくらいだった。

 おまけに今では都会モンをイビる素材に使える。

 「お前が杉の何を知っているのか」

 ま、イナカのことなど何も知らぬ者が多い。

 

 今も思うが、あの時のスギ花粉は「地獄だった」と思う。

 当時は花粉症の認識がなく、「春風邪を引いた」と言っていた。