日刊早坂ノボル新聞

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◎正体を捕まえる(647)

◎正体を捕まえる(647)

 金曜日の午前三時頃、眠りの闇の底に沈んでいた時に、突然、電話のベルが鳴り響いた。これは頭の中だけに鳴る音だ。

 「プリリリリン。プリリリリン。プリリリリン」

 三回鳴ると、今度は男の声が響いた。

 「潰してやるからな」

 すぐに目が覚め、「今のは夢でも自分の潜在意識の声でもない」と気付いた。

 思わず手を打って喜んだ。

 「やったやった。ついに正体を捕まえた」

 このところ、体調が一段悪く、体が重かった。神社の境内にあるわずか十段の階段を上るのにも四苦八苦するほどだ。自宅の二階に上るのすら苦心する。

 「まだ稲荷の障りが残っている。あるいはついこないだの」

 つい先日にも「頭に蜘蛛の巣がかかる」感触を得ていたから、また別の良からぬ者が乗りかかっている可能性がある。

 だが、生の声を聞いたことで、直接の接点が生まれた。

 前に聞いたのは覚醒時だったが、スマホの合成音声だったから(「憑いた」「憑いた」)、相手がどういう者なのかがよく分からない。だが、生の声なら簡単だ。

 「愚かなヤツだ。俺の方がお前を食う番だぞ」

 正確には、「私の中の女の悪縁が相手を食べる」ということだ。この女はわざわざそのために私の中に残っている。

 

 この日は通院日で、朝から病院に向かったのだが、帰路にはいつもの神社に寄ることにした。これは、ひとまず神に報告するためだ。

 「これから複数の者に報いを与えますが、その者のなしたことが原因なので、ご了解ください」

 対象は、こっそり隠れている僧侶の幽霊(昨年の稲荷から)と、関西言葉の男だ。

 よく考えずとも、「潰したるで」と言う言い方をしているので、関東由来の者ではなさそう。では、先日の「蜘蛛の巣」だ。

 

 帰路、繰り返し頭に浮かんだのは、自分が肉食獣(虎)になり、僧侶や男を頭から食うイメージだ。食い散らかして周りに体の一部が散らかるほどがつがつと食べる。

 おまけに、今回分ったのは、生きている者で私に悪意を向けている者がいたことだ。

 この数週間ほどは、悪縁の正体を探るために様々なことを書き散らして来たが、生きている人に向けたものではなく、「悪縁を釣り出す」のが目的だった。

 だが、そんな意図は他人の知るところではないから、人は人で勝手なことを考える。

 考えるのは構わぬが、声に出して言い、文字に落とす。

 すると、「あちら側の者」には、それを伝えてくれる者がいるので、アンテナにかかってしまう。

 「どうする?」という女の声がするので、「好きなように」と答えた。あの世の決まり事はあの世の者に任せる。「だが、小さい子にはあまり酷いことはするな」とも。

 そもそも私は生きている者にはまったく興味がない。友だちも仲間も要らず、あらゆる交流に顔を出さない。既に棺桶に入っている状態なので当たり前だ。

 棺桶の中に手を突っ込めば、それ相応の報いがあるのも当然だ。要は「見るな。語るな」ということだ。無暗に「あちら側」に触れるな。親や子、孫、果ては隣の家の猫にまで報いが及ぶかもしれん。

 

 ひとまず今回は幸運だった。普通の人なら、部屋中に響くような大きな声で「潰してやる」という声が聞こえれば、嫌な心持になり、不安や恐怖を覚えるのかもしれんが、私はもうそういうのには慣れている。何せ、起きている時にスマホが「お前に憑いた」と叫ぶ事態が現実に起きるほどだ。

 ロシアの伝説だったと思うが、「悪霊を追い払うには相手が誰かを知ることが重要だ」という話がある。特に名前だ。正体が分かれば、攻め方が分かるし、実際には声の大きさほどの力を持たぬこともすぐに露見する。

 「声の大きいのはさほどの力を持たぬ」のは、生きている者と同じ。

 

 雨の日だったので、画像には殆ど写らない。単純に光の量が足りぬからだが、こういうのは当事者が認識出来ればそれで良い。私は私の思った通りだったと見る。

 おまけに、どうやら「白い服の女」が私の許に戻っていたようだ。

 猫のトラがこの世を去ってから、まるでそれと一緒に去るように姿を消していたが、今回は内門の柱のところに立っていた。私が位置を替えても、同じ場所に立っているから、当初は白い布があるのかとも考えたのだが、門柱の位置にはそれと見紛う白いものが存在しない。 

 もしこの女が帰って来てくれたなら、これはこれで心強い。

 防御担当は「白い服の女」に、相手に報いを与えるのは「黒いショールの女」に分担して貰うことにする。

 最後の画像は二年前に捉えた「黒いショールの女」だ。この女は幽霊を捉えては頭から齧る。この背景は、私のお腹の上だから、たぶん、ずっと私の傍にいて、自分の出番を待って居る。

 

 ところで、私が「虎になり悪縁を食う」イメージは、本来この女のものなのかもしれんが、昔からどういうわけかいつも「虎」を自分の周りに置いて来た。

 メルアドやハンドルネームの類にも、常に「虎」を使っている。

 稲荷は「狗」の仲間の筈だから、あまり相性が良くないのは、そのためなのか。

 だが、あまりにも出来過ぎた話だ。

 と考えたところで、「かつて俺の命を救ってくれたのも『トラ』だったな」と気が付いた。

 

 人事に対し、「あの世」が介入することは実は僅かだ。幽霊は心に働き掛けることが中心で、物理的な影響力はあまり大きくない。恐怖心や不安感に囚われ、自滅しなければ、必ず打ち勝つことが出来る。

 だが、人によっては影響を受けやすい者が居て、私もその仲間だ。

 反対の影響を受けにくい人から見ると、私のような者は「常に訳の分からぬことを言い放つ」ように見えると思う。

 だが、当人には眼に見える直接的影響があるのだから、それに対処できるような考え方と行動をするのはこれも当たり前だと思う。

 それが証拠に「正体を捕まえ、具体的な手を打ち始めた」ことで、一瞬で体調が改善され、今は普通に階段を上り下り出来る。

 一日前には、二階に上るのも手すりに掴まってゆっくり上っていた。

 これならひと月ふた月の内に死なずに済むし、ことによれば二月を乗り切れるかもしれん。

 ま、それが何時になっても、まずは目の前の一日一日を味わって生きようと思う。

 死んだ後には、私には色んな務めが待って居る。

 

 重ねて記すが、これを書く本人が最も信じ難い。

 コツ(対処の仕方)を習得すると、「ガラリ一変」が生まれることがある。

 今は二階に駆け足で上がれるようになっている。明日は病院で三階まで足で上がってみることにした。

 今は少しく右側の首に軽い痛みがあるだけだ。

 病気を癒すのは、「まずは医療」が基本だが、「心と体と、そして魂のコントロール」で改善できる部分が存在する。