日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「年末盆回しの品評 その2」

◎古貨幣迷宮事件簿 「年末盆回しの品評 その2」

 手を止めて眺め、つい新たに調べてしまうきらいがあり、なかなか進まない。

 ま、別に業者でもないし、古銭会の盆回しを念頭に置くので、品物の交換が主ではなく、勉強主体になる。ただ品が欲しければコイン商かオークションの門を叩くと面倒ごとが無くて良いと思う。

X04 浄法寺山内鉄銭三種

 これは分かる人にしか伝わらぬ品だ。

イ)浄法寺背盛濶縁

 どうやら浄法寺山内固有の銭種で、栗林銭でこれの源を探していたが、ついに見つからなかった。堂々たる銭容で、割と美銭がある。存在数が少なく、一定の評価をしてよいと思う。研究をしようと思い、「美銭を3千円で買います」「5千円で」と求めたが、ま、売る人はいない。探す方が大変だからだ。

 大迫、栗林の大型銭とは形が違い、縁がより幅広になっており、この母銭はさすがに見事な出来だ。浄法寺鉄銭には背内輪が縮小した型があるが、この濶縁の手から派生して銭径が小さくなったものではなかろうか。それなら内輪が詰まって行く。

 O氏の遺品の一部処分を依頼された時に、鉄銭が五千枚くらい残ったが、銅銭も大量にあったので、鉄銭に手を出す人がいなかった。売り子の責任買い取りで引き取ったが、正直嬉しくはない。

 数年後に当四鉄銭を見たが、背盛七八百枚ほどの中に、濶縁はこの一枚だけだった。

 単なる大型銭ではなく、輪幅が広がっているから、「加工により拡げた」ということだ。

 

ロ)浄法寺背盛異足寶

 寶時の後ろ足が1)折れ曲がっている、2)膨らんでいる、の二手があるが、どちらかから派生したものだと見られる。他に判別の決め手がないので、母銭ではそれと分かっても、通用鉄銭ではその箇所が見えぬことが多い。

 だが、母銭を見ると、大迫から栗林に渡った標準的な背盛の型を踏襲するもので、輪幅と輪内径の比が一定だ。山内座では、むしろ大迫・栗林の母銭に手を加えた型の方が多いので、前と後ろの輪内径を見れば、異足寶の手かどうかはすぐに判別できる。

 ロ)は折れ曲がりの方、ハ)は膨らんだ方ではないかと思う。

 

ハ)浄法寺背盛異足寶

 銭種はどちらかと言えば「どうでもよい」話で、ロ、ハを手元に留め置いたのは、湯口の欠損が通常とは異なるように見えるからだ。

 解説図に記したが、砂型から枝銭を取り出すと、直ちにハンマーで枝を叩き、銭を折り落とす。この時に湯口や湯道の細い箇所で折れずに、銭自体が折れることがある。

 そういうケースの折れ方とハ)の折れ方は少し違う。ハの場合は、すぐ横に枝があり、その枝から故意に折り取った印象となる。

 もしそうなら、これは困ったことに称浄法寺銭の鋳放銭の切り離し方によく似ている。

 この品は鹿角から出た銭箱のウブ雑銭に混じって出た品だったが、銅銭の中に十数枚ほど鉄銭が混じっており、それが総て浄法寺銭。その中の一枚がこの「湯口の大きな背盛」だった。要は流通していた、ということだ。

 称浄法寺鋳放銭については、製造手法が藩政期の鋳銭法と明らかに異なることから、「明治中期以降の作品ではないか」と思っている人が多い。

 だが、貨幣として流通した銭の中に混じって出て来られると、その考えが即座に否定されてしまう。

 流通銭の中に類品が出るかどうかを十数年探したが、ついぞ見つからなかった。

 

 ちなみに、鋳放銭は一枚ずつを無理やり折り取った印象だが、湯口が常識外れに大きい。このことについて、昭和五十年台の発見当時に秋田・高橋氏は「一枚ずつを小箱で鋳造したようだ」と書いてある。

 だが、この見解は「一枚の銭」を完成形に置いた考え方だ。

 何故、湯口が斯様にバカでかいのか。

 その答えは簡単で、「銭を切り離すつもりが無かったから」ということだ。

 枝から銭を切り離さずに使うものと言えば、神社や神棚の梁に飾る奉納銭だ。

  中央でも「銭の生る木」が作られたりするが、これは時代が下ってからのものが大半のように見える。

 飢饉により餓死者を相当数出していた両南部や津軽の民にとっては、銭の密造は二重に命が懸かる行為なので神の加護は切実な問題だった。

 銭自体は、ひと型で当四銭三四百枚は鋳る。当百銭でも百枚を超えるが、これが十枚二十枚で型一つを鋳るということであれば、銭そのものを鋳造するための行為ではないと言える。

 だが、もうひとつ抜けている面がある。

 それが作られたのが何時頃なのかという問題だ。

 もし幕末から明治初年頃のものが確実視される品で、湯口の大きな銭が出て来るなら、これまでの称浄法寺銭に対する見解を総て改める必要がある。

 

 以上のことを半ばは怖れていたので、これまでこの湯口の大きな鉄銭を取り置いた。

 銅銭なら簡単に作れるが、鉄銭の鋳造には熟練がいる。思い付きでは作れない。

 もしかすると、これまでの収集家が「ものが見えぬ者」の集まりだったかもしれぬ。

 ま、「手の上の金屑」にうつつを抜かすような「ひとの世に役立たぬロクデナシ」であることは確かだ。

 

 この品はコレクションというより「史料」という見立てになる。

 長くなったので、続きの品は別スレッドに改める。

 

注記)いつも通り一発書き殴りにて。気になる人は来ないでください。