日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎またも生きてた

またも生きてた

 ツイてる。また死ななかった。

 火曜は通院日だったが、治療中にトイレに行きたくなったので、一旦、中断して貰った。

 中断する時には、途中の計量があるので、体重計に乗ったが、乗った瞬間、体がゆらっとした。

 覚えているのはそこまでだ。

 次に目を覚ますと、ベッドの上に寝かされていた。

 看護師に聞くと、体重計の上で意識を失い、倒れそうになったので、その看護師が抱き止め、三人がかりでベッドに運んだのだそうだ。

 倒れた理由は「血圧の降下」で、その時点では上が60くらいだった。

 一時間くらいそのまま寝ていたが、ようやく120に戻った。

 強制的に除水しており、保水バランスが崩れることから、血圧が異常に下がることがある。血圧が著しく乱高下するので、心臓に負担がかかり弱って行く。その兼ね合いで、急に下がることがあるようだ。

 血圧が下がると脳に血液を送れなくなるので、意識を失う。

 前駆症状は、心筋梗塞の時とは順番が違う。

 

腎臓疾患からの低血圧症による心不全の場合

1)腹具合が悪くなる。

 理由なく下痢をする。

2)胸部症状

 鳩尾が重くなる。あるいは冷たくなる。

 痛くはならぬので、心臓病ではなく胃炎だと思う人が多い。

3)意識障害

 うまく考えられなかったり、意識を失ったりする。

 この間、血圧が下がっている。 

 

心筋梗塞の場合

1)血圧が上がる(か極端に下がる)

2)胸部症状(重いか冷たい)

3)脇の下、首が重くなる

 意識がはっきりしており、苦痛を感じるのは最終局面で、胸が苦しくなったら、もはや救急車を呼んでも遅いことが多い。

 

 起きられるようになってから、トイレに行ったが、胃から腸内にあるものを総て排出した感じ。

 テレビで病気の象が水辺で死ぬ時に、全部の便を輩出して死ぬのを観たことがあるが、死に間際ではそうなるらしい。

 死体はすぐに悪臭を放つが、腐敗臭の原因は概ね排便によるものらしい。

 ベッドに寝ている間、「死に間際の象」のイメージが頭に渦巻いた。

 

 血圧の低下が原因で心臓がおかしくなるのは初めてだ。

 発症パターンが梗塞系とは違う。

 これに体が慣れぬので、帰宅してからもずっと横になっていた。

 こういうのが増えて来ると、もはやカウントダウンの始まりを意味する。七十台以降なら、ここからはひと月ふた月。

 私はまだ若いから、もう少し持つかもしれん。

 生来、私は意志が強い方で、方向性が分かれば、スパッと調整出来る。よって、さらにもう少し伸びるかもしれん。

 純粋に身体機能の問題なので、その範囲で改善する他はない。

 

 先週から腹具合が悪く、下り気味だった。

 あれは腸の調子が悪いのではなく、循環器系の不具合によるものだったか。

 ま、一度はニトロ錠剤を舐めるくらい、心臓の不調が先行していた。

 病気には必ず前駆症状があるから、それに気付けるかどうかが生死を左右する。

 

 病棟では、私と同じように倒れて、床に頭を打ち、脳出血に至った人がいるし(その後死んだ)、心臓の病院に運ばれて緊急手術を受けた人もいるから、まだ幸運な方だ。

 看護師がオヤジで体力があり、私の体を支えてくれたから、頭を打たずに済んだ。

 その辺、本人は暗闇の中で、まったく記憶がない。

 

 せっかくなので、少し脱線する。

 十日くらい前に響いたあの「男」の声は本物だった。

 「死ぬぞ」「あぶねえぞ」

 (実際にはよく聞こえず「※※ぞ」「※※※ぞ」。)

 ああいう時に、意図や意味をスパッと解釈できるなら、それを手掛かりにして、自分自身も他の人も助けられると思う。

 この世の者ならぬ者の「声」なら、いつもふんだんに聞いている。

 今思えば、ひと頃の絶好調ぶりは「たまたまサイクルが合っていただけ」だった。周期が少しずれると、バタバタになる。あれが「燃え尽きる前の蝋燭の炎」でなくて本当に良かった。

 

 さて、「死ねば終わり」と言う人がいるが、それはあの「スイッチが切れた後」の暗闇がずっと続くということだ。

 一定期間の後に「再び自我が目覚める」なら、心を落ち着かせることが出来る。やり直しではないが、修正が出来そう。

 「ふうっと意識を失ったまま虚無に戻る」としたら、それこそ死は恐怖でしかない。

 「死ねば終わり」と嘯く人は、「見ないようにしているだけ」だというのは周知の事実だ。

 ま、死んでも終わりにはならないから心配するな。

 数日から十数年くらい、暗闇で眠っている期間はあるが、その後、必ず自我が目覚める。もちろん、その時には脳を失っているから、理屈でものを考えることは出来ない。その時、あるのは心だけ。

 生きている間に、頭以上に「心を磨く」ことが必要で、実際に役に立つ。

 

 まずは今生きていることに感謝。いずれにせよ残りはもう少ない。