◎まだ大丈夫
「生き死に」に関わった時には、あの世の者が寄り憑き易くなるから、すぐに八幡さまに参拝した。
やはり予想通りだが、視覚的には鮮明ではなく確認し辛い。
ま、今は触覚が助けてくれるので、周囲にわさわさと寄り集まっているのは分かる。
あの「声」の持ち主はいち早く気付いて、唾を付けようと思って先走って行動したようだ。
「もう誰か見たからね。俺の方が食いますよ」
と、釘を刺して置いた。
少し気が楽になったのは、「相棒」が傍にいるという実感があることだ。これなら、別の者に引かれてしまう可能性は小さい。
周囲の患者を見ていると、「昏倒するようになると、もはやひと月ふた月」なのだが、まだここも乗り越えられるかもしれん。
有機体の機能には限界があるが、私の特技はあの世を動員出来る点にあるから、最大限まで引き延ばす。
「この人」に関わる宿縁は、他の者には意味がないし、見えたり感じ取れたりしないものだ。よって、私自身分かり、役立てればよいので、説明も無し。
事実上、私の見ているものは、他の人にとっては単なる幻影であり妄想だ。
だが、これがあるから、私は生きていられる。
一点だけ分かりやすいところは、ガラスの向こうに室内の物が見えるのは当たり前だが、反射面で、私の背後にあるはずの柵が私を透過して見えている。
ひとの姿が半透明になるパターンには、様々バリエーションがあるようだ。