日刊早坂ノボル新聞

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◎七百年という時間

七百年という時間

 所用で狭山市の駅前まで行くと、狭山八幡に参拝するのが定番コースになった。

 境内でこれまで立ち寄っていない場所は、石造りの階段の上だけだったが、ここには「新田義貞駒繋ぎの松」があるという。

 ま、こういうのは、かなり時代が下ってから、当地の人の推測で定められたものだと思う。

 「八幡神社があり、馬で来た者のための馬溜(留)がこの地だった」

 「新田義貞八幡神社に参拝した」

 この根拠があれば、馬溜の地に生えていた「松に馬を繋いだ」のは容易に想像がつく。

 推測に基づくことと、松の木が何代も生え替わっていることから、公的な史跡指定はされて来なかった。

 

 だが、七百年前と現代を繋ぐものであることは疑いない。

 後醍醐天皇新田義貞に「鎌倉幕府追討」の命を下し、義貞がここまで進軍して来た。

 すぐ近くを鎌倉街道が通っているが、既にその頃から関東全域から鎌倉に向かう主要道だったとのこと。

 

 今を生きる者が想像出来るのは、せいぜい四百年前の戦国時代くらいまでで、それからさらに三百年前になると、今にどう繋がっているのかがサッパリ分からない(実感がない)。

 自分が消費した時間は半世紀ちょっとだが、その感覚なら「百年などあっという間」だと思うわけだが、それも様々な情報が入って来るからそう感じるだけのような気がする。

 昔の人の生活ぶりは、一生を通じ、それほど変わらなかっただろうから、体感的な時間の経過はゆっくりしたものだったのではないか。 

 

 とはいえ、ひとの一生が概ね四十数年だった時代だ。

 その頃の人は、どんなふうに一生の時間を眺めていたのだろう。

 ちなみに、ほんの少し前の昭和の時代だって、六十を過ぎた人は腰の曲がったジジババに変じていた。今は六十で「年寄り」とはやや失礼に当たりそうなくらい若く見える人ばかりだ。

 四十どころか六十でも「不惑」に達したとは言い難い。

 ちょっと言葉足らずだが、日記を推敲してはいられない。私の使える時間は限られているから、とにかく前に進むしかない。

 

 脱線した。

 ガラス映像の「自分チェック」では、曇りの日と言うこともあり、ほとんど認識出来ず。ま、ガラス映像でTPOが合致するのは、百枚のうち数枚だ。

 この日は黒玉が少し出ているかもしれぬが、はっきりしない。

 ちなみに、煙玉は「ほぼ自然現象」もしくは「付帯現象」なのだが、「黒玉」は幽霊そのものだ。もし黒玉の所在を感じたら、それが何者で、どういう意図を持つ者かを見極める必要がある。

 実践している人は少ないだろうが、根気よく続けていると、そのうちはっきりしたものが撮れる。いざ始まると、次々に写るようになるので、自分の周りにある環境をよく見回してから撮影する習慣をつけると、錯覚や見間違いによる時間ロスを減らせる。

 いずれ自分に抱き付く幽霊の姿が写ると思うが、驚く必要はない。

 幽霊が関わろうとすること(憑依、みたいな)は、特別な場所、特別な人にだけ起きるのではなく、日常的に誰の身にも起きている。

 このため、いわゆる「スポット」みたいな捉え方にはあまり意味がない。

 どこでもいるし、ただ「TPOが合わぬと見えない」と言うだけの違いでしかない。

 幽霊が寄り憑くことは日常的で、だからと言って何が起きるわけでもなく、ただ心に圧力や変化を受ける程度の違いしかない。

 もちろん、例外もあり、幽霊が生きた者の心を乗っ取ろうとする場合には、はるかに積極的に関わろうとして来る。よって、接近して来る「意図を量る」のは重要だ。

 必ず原因があり、殆どの場合、当人がそれを作っている。多くはその人の「邪な心」による。

 幽霊の所在に驚き、すぐに神仏や祈祷師に頼ろうとする人がいるが、それも「他力」に過ぎず、実際にはあまり効果がない。圧力を掛け一時的に遠ざけるだけのことで、本人が変わらぬ限り、必ずまた戻る。

 基本は「自分なりに立ち向かう」ということだ。