日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「平成浄法寺でしくじる(漆)」

◎古貨幣迷宮事件簿 「平成浄法寺でしくじる(漆)」

 称浄法寺銭の鋳放銭は、昭和五十年代に当百銭が四百枚くらい出て、次に平成のひと桁年台に絵銭と前回「無い」とされていた当百銭種(小字)や寛永銭、絵銭等が入札誌を通じて売られた。

 ところが、昭和の称浄法寺銭と、平成の小浄法寺銭は作り方が明らかに違う。

 地元の事情通に照会してみると、「地元では見たことが無い」という返事だ。

 何だか怪しい。

 仕方なく、何枚かを買って、製作を調べてみた。

 怪しい品だと思っても、現物を検証する必要があるから、五千円だ一万円だと本物めいた値段で買わざるを得ない。ここは痛しかゆし。

 だが、やはりおかしくて、鋳放銭の筈なのに、湯口以外には研磨が掛けられていたりする。輪側などは、それが横鑢だったりする。

 有り得ない。幕末明治初期の浄法寺周辺では、横鑢(すなわち回転式砥石研磨装置)は使っていない。

 で、出品者を調べてみると、いずれも隣県(M県)在住の人だった。

 はっはあん。やりやがったな。鋳放銭を見て、「これなら作れる」と思った人が多かっただろうが、中にはやってみる人もいたのかもしれん。(知らんけど。)

 そもそも古銭のコレクターは、型と状態(見栄え)しか見ない人が九割で、「どういう手順で作ったか」については配慮しない。

 また、私のように「偽物でも研究のため入手してみる」という人も相当数いるので、儲かりはしないだろうが、ソコソコ売れる。

 そもそも称浄法寺銭の鋳放は「湯口が大きい」(=奉納絵銭用)が特徴のひとつなのに、平成浄法寺銭の方は湯口がさほど大きくない。湯口が小さいなら、枝銭の状態では使えぬので、バラしが前提の品だ。

 二重三重におかしな点があるわけだが、かえってそのことが勉強になる。

 製作意図や手順と、具体的な工程・工具が合理的な関係に無くてはならぬのに、進んでいるのは「称浄法寺銭のような風貌」ということだけ。

 なお、本来の地元の人たちも、東京とか静岡の入札誌を通じて、平成浄法寺銭を入手したりしているから、その人たちが持っている品でも安心はできない。

 ま、製作を検証すれば、一瞥で分かるから、口を酸っぱくして言う通り、「デジタルマイクロスコープ(DMS)」を買うことだ。

 印象だけでものを言っているうちは、何の進歩も無い。肯定否定のいずれにせよ、それなりの明確な根拠を持つ必要がある。

 

 ちなみに、勉強になるので、画像の「ナ文」と「稲荷」を研究用に安価で売却しようと思ったが、安く出すと、「工法の研究用に渡す」という部分が消え、そのうちにいずれかの入札やネットオークションに出される可能性が高い。

 中には「誰それから買った」と人名を付けて売る輩も現実にいる。「参考品を他人に売るな」と言われるのはその点だ。渡した時には「これは研究用の参考品だ」として渡すわけだが、途中で但し書きが消され、前蔵主の名前だけ添付される。

 これが複数の手を経る段階で、「誰それが怪しい品を売った」という話に化けてしまう。

 だが、「ここがこうなっているからダメなのだ」は収集家が自分の目で確かめる方が早い。知識を敷衍させるには、現物を渡す方が早いので、見せた方が良いと思う。

 漆を打つなど印をつければ、幾らか抑止力にはなる。

 一枚五千円とかで買った品だが、研究用参考品ならせいぜい一千円かそこらが妥当だ。地元の人や若手に研究素材を提供する意図で、漆を打って出すことにした。

 

 だが、扱いにしくじり、うっかり指に漆を付けてしまった。

 前に一二度カブれたことがあり、免疫が出来ているかもしれんが、液体状の漆が肌に付くと、またカブれる恐れがある。

 もはやウンザリ。

 

 雑銭の注文が相次ぎ、盆回しの掲示は明日から始める。

 一人で二十キロ近く買った人がいるから、前の袋に良品が混じっていたわけだ。

 ここはNコインズOさんの流儀にならい、「自分の関心のない品には手を付けずに、他の人に回してあげれば、古銭界の巡りが良くなる」という方針なので、人によっては拾えたと思う。奥州以外の品は基本的に触らないわけだが、結果的に雑銭値段のアベレージが上がる。

  これが「売り文句」に聞こえる人がいるだろうが、懸賞の賞品を残し、既に大半が売れてしまっているので、そういう意図ではない。