



◎川越八幡にて
所用で川越に行ったので、帰路に川越八幡に参拝した。
生憎の雨だが、そこに八幡さまがあるなら、日頃のお礼を述べる必要がある。
何せ、敵弾を掻い潜りつつも生き延びて来られた。
この世もあの世も、自分独りで立てる・立っていると思ったら大間違いで、沢山の者の援助を受けている。
あの世の者は、手を出して救ってはくれぬが、自力更生のための示唆を与えてくれる。あとは、こちら側がそれに気付き、きちんと聞く耳を持てるかどうかに懸かっている。
神殿の前に立つと、窓ガラスが正面に見えた。
この時点でガラス映像の中に、白衣の女性の姿が見えた。
それと、その背後には、私の母の顔が浮かんでいる。
目視する場合は、写真には写らぬことが多いのだが、ひとまず撮影してみた。
私以外の者でも、私の体の周囲に煙のような白いものが見える筈だ。
神殿の中にも、また外側にも、白いものは存在しないが、ちょうど私を包むように囲んでいる。
これは着物で、背後から私に重なる位置に、白衣の女性が立っている。
私と同化しつつあるので、私を包み込むような体勢をとっているということ。
一方、私の方は胴体が見えるのに、顔は無い。
これは「幽界の霧」の中の景色なのだが、これには深さ(奥行)があり、少し後ろには、四角い窓が開き、その中に私の母ともう一人の女性がこちらを除く顔が見える。
母は私を案じて、まだそこに留まっていたらしい。もう一人のほうは私の知らぬ女性だ。「四角い窓」は何らかのメッセージを伝えることが多いから、何かしら告げたいことがあるのだと思う。
母は一生を、子どもたちや孫を案じることに捧げたから、亡くなった後もその心情を抱いているのだろうと思う。解放するには、再起して「助けは不要」を実践で示すか、私もあの世に向かい、母との約束を果たすか、のいずれかが必要だ。
白衣の女性は、やはり昔は巫女だったようだ。
私は繰り返し、「自分が祈祷師・巫女で修験者千余人を率いて山で修行をする」夢を観るので、それはかつての自分の姿だったと思い込んでいた。だが、別の人格(白衣の女性)が自分の姿を見せていたのかもしれん。
白い法衣(道着)を着た女性が二人、背後に従っているが、この二人は巫女付きの従者だと思う。
こういう示唆は、特定の相手に対して送るメッセージだ。もちろん、この場合の相手は専ら私で、他の者には関りが無い。見えぬし、理解も出来ぬと思う。
だが、私については、「直に目視するものと、後で画像などで確認出来るものが一致する」ようになった。
程なく、誰の目にも分かるように、あの世の姿を出して見せられるようになると思う。
神殿の前に立った時に、私は少しヒヤッとした。
母の顔を確認した瞬間、「もしや母が私を迎えに来たか」と思ったのだった。
ま、まだそんなことはないようだ。
一方、白い着物(煙)が私を包んでいた。
女性の表情があまり見えぬが、時々、「白衣の女は相棒のような存在だが、顔つきが怖い」と書くので、あまり顔を前に出さぬようにしたようだ。うっすらと見えるが、やはり表情は怖い。
最近は、あの世の者(幽霊)の存在を感じても、殆ど実害はなく、怖気も覚えない。
人事に専念出来る「普通の人」だが、これはこれで面倒が多い。
悩みごとや面倒ごとの種はどこにでもあると見える。ま、人事なら本人の努力で切り拓くべきだし、切り拓けると思う。