日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎何故そこに幽霊がいると分かるのか

◎何故そこに幽霊がいると分かるのか

 画像は過去に公開して来たもの。

 現れ方が似ているので、あえて対置するが、性質はまったく異なる。

 

「イリス」

 最初の方は、見るからに悪縁(霊)で、視線が凶悪だ。

 悪い方は極力姿を消そうとするようで、半透明と言うよりほとんど透明に近い。

 このため、これを認識出来ない人の方が多い筈だ。

 ちなみに、私はその場に立って見ているわけだが、画像よりも目視の方が鮮明に見える。「誰か(人影)が立っている」と思うからカメラを向けるわけだ。

 また、多くの場合、物音や気配を伴っている。

 拡大して見ると、背後にももう一体いたようだ。複合体らしく目を離すと別の顔に見える。見るからに悪そうな表情だ。

 こんなのを見ると、「これから何が起きるのか」とホラー的展開を想像してしまうが、実際には何も起きなかった。幽霊は基本的に「心に働き掛けるもの」だし、また私に「利用価値がある」と思ったようだ。

 ま、私は生者と死者の間に立っているから、私を媒体として両方を眺めることが出来るのではないかと思う。認識もしやすいらしく、幽霊のほとんどは私のことを見ている。

 軍団のように複数が集まっていることがあるので、この女の悪縁を総称して「イリス」と呼んでいる。

 

「白衣の巫女」

 令和二年まで常に私の傍にいたが、二年に神社猫のトラが死ぬのと同時に姿を消していた。それ以降、苦戦が続いていたが、最近になり傍に戻って来たと思う。

 割と頻繁にガラス窓の中にいる姿を目にする。

 この巫女が傍にいると、「あの世」や悪縁に対する恐怖を感じずに居られる。

 私にとっては、もはや相棒のような存在だ。

 

 私は目視で確認していることもあり、当たり前のように「ここに女がいる」と記すのだが、これを同じように察知できる人はあまり多くないらしい。

 ほんのささいな違いで「気のせい」「目の錯覚」とは違うと気付くのだが、最初に「おかしい」と感じ、そこから注意深く観察する方に足を踏み出すと、どんどん察知できるようになる。

 こちらが目を向けると、相手もそれを察し、強い「しるし」を示すようになる。

 

 誰もいないところで音が響くのを聞いたことのある人は割合いると思う。

 最初はいわゆる「ラップ音」程度で、「板が乾燥してヒビが入る音」などの説明で納得出来る。「ピリ」とか「パキ」程度。

 だが、注意深く聞く者に対しては、音が次第に高くなり、それこそ聞えよがしのような音が響くようになる。

 厚い本を放り捨てた時のような音や、ガラス瓶が倒れた時の音だ。

 「バッタアン」「ガッチャン」。

 

 何故そこに幽霊がいると分かるのかは、人によって程度が違うが、その幽霊が何かを伝えるために意図的に報せていることが多い。よって、殆どの場合、聞かせる相手を選んでいる。

 そうなると、受け手の側から見れば、世間一般で言う「霊能力」みたいなものはないと言える。繰り返し言う通り、このジャンルに「能力」などは存在しない。皆が同じ条件で、感覚の違いなどさしたるものだ。注意深さと経験による違いだけ。

 

追記)あの世のバケモノたち

 あの世は「何でもあり」で、妖怪みたいなのやバケモノみたいな姿をした者がざらにいる。その理由を長く考えさせられたが、どうやら、「心象」、すなわち心根がそのまま外見の姿になって現れるためのようだ。

 悪心を持つ者が同化合体すると、その悪さが顔に出る。

 生きている者の心のうちは、外見では分からぬから。むしろあの世の方が分かりやすいと言える。

 

追記2)視線

 周囲に誰もいない筈なのに、「誰かに見られている」と感じることがあると思うが、そういう時には、実際に見ている者がいる。
 背後の「もう一匹」の方には、最近まで気付かなかったが、何となく気が付いて、視線の方向を探したら、やはりそこにいた。これは複数の「元は女」だった者が、ひとつの悪縁(霊)にまとまった者だ。