日刊早坂ノボル新聞

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◎その地に幽霊が現れた理由

その地に幽霊が現れた理由

 これまで、幽界(あの世)に関わる記録を残す際には、その地の住民などに配慮して、極力、具体名や事実を隠す配慮を行って来た。だが、それでは実態が伝わらない。そこで、固有名称は避けるにせよ、どういう場所で何が起きたかについては、なるべく事実を記すようにした。

 

 私の周りで、いわゆる心霊現象が頻発したのは、概ね令和元年が最高潮だった。この年には数十枚の心霊写真を撮影しており、多くは不鮮明ながら、中にはそれと分りよい記録も残っていた。

 その中のひとつに前から疑問を抱いていたので、今回、その周辺を調べ、原因を探ることにした。

 この年、「この画像には疑いなく幽霊が写っている」という典型的な事例は、ある温泉施設での老人の顔だ。

 これは幾度も公開して来たが、この画像に関しては、よく分からぬことがあった。

 日帰り温泉施設の玄関で撮影したわけだが、ガラスに映る私自身を見ると、左胸のところに老人の顔が出ている。ガラスの向こう側の長椅子には誰もいないので、これは「そこにはいない筈の者」の顔だ。

 老人は入浴着(湯着を着ているようで、かつ、それは令和元年当時、この施設で使用されていたものではなく、経営体が替わる前の入館着のデザインだった。

 ここで閃いた。

 「なるほど。前にここで感染事故があったから、それとの関連か」

 あの事故が原因で亡くなったのだな。

 

 だが、最近になり事故の記録を調べてみると、「四人がレジオネラ菌の感染がもとで入院し、一人が重症」と記録されている。そうなると、少なくとも事故発生後数日の間には、ひとは死んでいないことになる。

 その事故自体、2012年の出来事で、事故後二年近く施設が閉鎖され、かつ経営体が替わり改装されて、営業を再開している。令和元年は2019年だから、事故から既に七年経過していた。

 それなのに、何故、入浴着を着て、苦しそうな表情で現れたというのか?

 

 ま、まったくその土地とは関わりない者が現れることもある。新築のビルには、因縁など無さそうだが、しかし、現実には幽霊が出ることもある。

 私は真地区のホテルに泊まった時に、壁の向こう側から「助けて」と叫ぶ女性の声を聞いたことがる。

 その時に泊っていたのは八階の端の部屋で、壁の向こうは何もない空間だった。

 だが、この温泉施設はそういうケースとは考えにくい。老人は苦し気だし、どこか恨みがましい表情をしている。

 

 最近、気付いたのは、「恐らく、その後で亡くなった」ひとではないかということだ。

 高齢であり後遺症が重い。かつ自身が温泉での感染によって具合が悪くなったことを承知している。

 それなら悔しい思いがその施設に向けられてもおかしくはない。

 急病や不慮の事故で亡くなった場合、七八年から十数年の間は、暗闇の中に眠っていることが多いのだが、一定の時間の経過の後に改めて自我が目覚める。その時には、自分が死んでいることを覚えていないことが多い。急なので自覚する暇が無かったのだ。

 七年後であれば、ちょうど自我の覚醒が始まる頃だから、この頃に目覚めたとしても、けして不自然ではない。死因が意識出来たから、むしろ割合早かったと見るべきなのかもしれぬ。

 不慮の事故や殺人事件の被害者の場合、次の覚醒まで十五年以上かかることもある。

 その頃、家族や親族は故人のことをもちろん忘れていないわけだが、ご供養の頻度や質が変化しているかもしれぬ。そもそも家族親族の方も元気でいるとは限らない。

 こういう亡くなり方をした故人のためには、没後十年を経てからのご供養の方方が重要だ。

 声を掛け、慰めることで、生に対する執着を解き、死者が先に進む流れが促進される。

 

 あの老人がこの地に因縁のある者だと見て取ったので、それから数か月の間は、この施設を度々訪れ、持参の用具でお焼香をした。携帯用のお焼香セットを持っており、火事の危険はないので念のため。

 程なく幽霊の気配が消えたので、ご供養・浄霊は上手く行ったと考えられる。

 この供養のやり方は私流で、専ら「対話」による。話し掛けて共感を得ることで、頑なな心が次第に解ける。よって、利用客がこの地を訪れたからと言って、障りを貰うことはない。

 この老人が現れたのが九日で、この日には、私の背後に「丸顔で眼鏡の男」が貼り付いていた。

 今回、この同日中の神社の画像を点検してみたが、煙が出ており、さらにその煙の中に人影が見えるものもある。

 この年は、私の後ろをついて来た亡者たち(百鬼夜行)が、すぐ私の背後まで到達した時だったらしい。

 これ以後は、常に手の届く間合いにぞろぞろと連なっている。これは今も変わらない。

 この日は温泉施設に立ち寄る前に、神社に参拝していたのだが、その画像にもあれこれ映っていた。

 例によって、妖怪みたいなものまで見えるから、なるほど「亡者に追い付かれた」ことが分かる。

 

 因果な話なのだが、この状態を哀れに思ったのか、「白衣の巫女」が姿を現して、自分との宿縁を示してくれた。この巫女は、私の相棒と言ってもよい存在で、ぎりぎりのところで進むべき道を示してくれる。この場合、守ってはくれず、「進むべき道を示す」だけだ。あの世に守護李などと言う存在はない。

 

 行く先々で、あの世の者の存在を悟るので、その都度ご供養を施し、順次、執着を解いている。

 誰も褒めてくれぬのだが、たぶん、これは「務め」のようなものだから、別に問題はない。

 私のような境遇を理解しろ言われても、到底無理だ。

「変なヤツ」「イカれたヤツ」で結構。私はもはや「別次元」を進んでいる。

 知人が調べてくれたが、私のように人知れず不浄霊を鎮めている「防人」が、他にも幾人かいるらしい。友達意識などもちろんないが、ただ「お疲れさま」という言葉だけを送りたい。

 

 画像はこれまで非公開のものを含む。
 温泉施設がスポットではなく、私が原因だということがよく分かる。場所が替わっても同じことが起き、共通点は「そこに私がいる」ということだけ。それなら要因は私ということになる。
 徐々に幽界の実証に近づいているが、それまで私が生きていられるかどうか。