日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎死に間際の覚悟

令和三年五月三十一日撮影

死に間際の覚悟

 二週間ほどほぼ寝たり起きたりの状態だったが、その間、頻繁に良からぬ者のイメージが湧いて出た。

 その中に「舌を出して歩いている女」の姿があったのだが、先ほどFBの過去ログで勝手に再生されていた。

 画像は令和三年の五月三十一日に家人と一緒に神社に参拝した時のものだ。

 境内に入った時からザワザワしていたが、後で画像を開くと、山ほど女たちの姿があった。

 二年が経過して、大半は消えてしまったが、「舌出し女」の姿は残っていた。

 

 ガラスの継ぎ目の左右に、屋根の庇が映っているが、その右側だけに女が写っている。庇の高さは二㍍半くらいはあるので、生きた人間の立てる位置ではなく、またサイズも大きすぎる。

 この女性はリュックを背負い、右方向を向いているのだが、口から舌の先が長く外に伸びている。通常この舌の状態は縊死した者に起きる。

 だが、リュックを背負ったまま首を吊る者はいないし、自死者にありがちな「死に間際の妄執」も顔の表情に出ていない。

 亡くなってから左程の時間が経過していないように見えるのも不審な点だ。

 だが、よく考えると、首が締まって死ぬのは、何も自死しようとする者には限らない。「誰かに絞められた」というケースもあるわけだ。

 

 心の準備が無いままに死ぬと、自我が覚醒した時に、自身の置かれた状況がまったく理解できないことがある。

 死んだことが分からぬまま、ただぼんやりと生前の行動を繰り返す。

 こうやって他人の頭の中にイメージを落とすのは、自らの置かれた状況から逃れ出ようとする姿勢の表れなので、少しずつ自我を開放する準備が進みつつあるのかもしれん。

 悪縁化はしていないが、他の者に取り込まれたりすると、たちまち化けてしまうだろうと思う。

 

追記)霧の中

 どうやら「幽界の霧」の中を垣間見た一瞬だったようだ。

 よく見ると、「舌出し女」の周囲にも複数の幽霊がいるのが見える。

 N湖の「穴(交流点)」近くの森の中を望遠レンズで除いた時に、これと同じ景色(構図)を見たことがある。数多くの人影が当てもなくうろうろと徘徊していた。

 ちなみに、あちこちに眼が開くのだが、普通は「自分のことを見ているかどうか」、「自分のことが見えるかどうか」を確かめようとするための視線だ。幽霊は感情で出来ており、感情は「波」の性質を持つので、他の幽霊や人間と自分の波長が合えば、その相手と同化・合体を試みようとする。

 画像を見てそれだけで何かが起きるわけではないが、接点が生じると、寄り憑かれ易くなる。