日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「中国銭に関する質問の解題」

◎古貨幣迷宮事件簿 「中国銭に関する質問の解題」

 前回、若手収集家に中国銭一式を渡す時に、ひとつ質問をした。

 「これを集めたのは大陸に赴任した軍人だが、彼はこれをどうやって集めたと思うか」。

 この回答が寄せられていたので、答え合わせと解題(糸説明)を行う。

 なお、コロナ感染で対応が幾らか遅くなった。

 

 以下は寄せられた回答(ここから)。

 ブログに書いてある点

 ・大陸に出兵し買い集めた

 ・昭和20年(1945)以前に帰還

 ・骨董店で入手

 内容の古銭

 ・中国銭、朝鮮銭、安南銭、日本銭

 ・最新の古銭は太平天国あたり?

 ・収集家向けの贋作や絵銭も多少あり

  →現地で使われていた物を、一種類ずつ持っていたという可能性を考えたが、可能性は低い

・ブリキ製の転用の箱(専用に作っていない)

 厚紙の手作りのトレー

  →お金持ちという訳ではない…?

 

 中国銭収集は江戸時代元禄期から始まっていたようですが、基本的には上級の人の遊びで、古銭はかなり高価だったと本で読んだ事があります。

 その後、明治期は、今につながる日本銭収集も本格化しましたが、少なくとも最近まで、財閥などの富裕層の遊びだったはずです。

 当時の大家のコレクションをみても、(真贋の研究が進んでおらず贋作も含まれるにしろ)、箱は木製の、非常に整った物です。

 それに対し、今回は、そこまで上級の方のコレクションには見えません。

 (出兵している時点で上級な国民ではありませんが。)

 

 また、「現地の骨董屋で入手している」とありますが、戦争で出兵していた人の食糧・物資などは日本政府(または軍)の配給品だと思います。例えば現地調達分として現地の金銭を受け取っていたとしても、それ以上、ここまで古銭を買い集める程の財力は無いはずです。

 

 そこで思い浮かんだのは、やはり「贋金による購入」ないし「窃盗」です。

 以前、ブログで「流通目的の贋金」を拝見しましたが、あの日本軍なら作っているはずです。

 また、南京事件など日本軍の中国人への当たりは最悪で、金目のものの「窃盗」も十分考えられます。

 以上です。

 

<解題と解説>

 まず最初にお断わりすべきは、この質問には「正解が無い」ということです。

 当事者を直接知っているわけではなく、間に業者が入っているので、詳細は分かりません。

 それなら何故この質問をするのか。

 この問いには「人の手を意識して貰う」という目的があります。

 貨幣は人間活動の営為の一端を示すものですが、多くの収集家はこれを「モノ」として眺めます。

 大半の収集家はまず型分類を観察し、さらにその多い少ないを論じます。

 古銭会の議論の大半は「分類」とその「優劣(多寡を価値に置き換えたもの)」に費やされます。後者は通常、「位付け」と表現されるものです。

 これは、人を観察するのに「顔のかたち」とその「多い・少ない」だけを論じるのと同じことで、度を超すと本来その人が持っている背景を顧みる視点が欠落させてしまうことがしばしばあります。

 その人の「人となり」を観察するには、「顔のかたちや体型だけではない」ということを示すために、この質問をしたのです。

 いずれ大学では、文系理系を問わず、人間行動の観察手法を学ぶと思いますが、そこでは主に「主体と環境」フレームについて学びます。

 対象物(または行動)について観察しようとする時には、そのフレームを観察しようとする対象に当てはめるだけでなく、自分自身をその中で位置づけ、「自分が何を観ようとしているのか」を確かめます。

 対象の見え方は、「どのように眺めようとしているのか」ということで決まる場合があるからです。

 「主体と環境フレーム」については、ネット検索すれば、五つくらいの研究者の図式的理解が出て来ると思いますので、暇な時に眺めて下さい。

 

 貨幣研究の場において、このことが大きく影響するのは地方貨や密鋳銭のジャンルです。例えば、密鋳銭ではいざ形態分類を始めれば、何百と言う小分類を見出すことが出来ます。

 形態分類は、ひとつの銭座の中で採用された少数の銭種を対象とする時には、相互の関連性を見出す時に有効な視点となり得ます。ところが小規模の不特定の密鋳銭座の産物について、同じような視角を適用すると、いたずらに膨大な銭種が生まれるだけになります。

 合理的な観察主眼とは、「共通性と独自性」(または「分化と統合」)を観察するところにありますが、分類手法では一定の規則性を見出すことは難しい。

 よって、まず「作り手」のことを想定し(=主体)、これが物的環境、社会環境の中でどのような活動を行ったかを考えることで、「何故そのような帰結に至ったか」という知見に近づくことが出来ます。

 観察しようとする対象によって、問題視角自体を切り替える必要があるのです。

 今はまだ具体的な方法について学ぶ必要はありませんが、頭のどこかに「誰がどういう条件の下で、どのように作ったか(使ったか)」を念頭に置いて眺めるようにすれば、形態分類に留まらぬ知見が得られるだろうと思います。

 

 次に幾らか気になった点を記します。

 情報としては、実は「収集家は、関東軍の兵士で、大陸で集めた品」ということしか分かりません。 この場合、どこでどうやって集めた・集められたのか。

 下士官以下であれば、兵舎を自由には出入り出来なかった筈で、「買い集める」ことが出来たかどうか。

 また当時の大陸には、骨董商はいた筈ですが、古貨幣が商品として扱われていたかどうか。

 甚だ疑問に思うことのひとつはそれです。

 日本で古貨幣が一般の趣味に定着するのは昭和四十年代の高度経済成長期以降で、それ以前はごく一部の者の道楽でした。この道楽自体は江戸時代から存在しているわけですが、広く骨董の領域の一部と考えると、そこでもメジャーなジャンルではありませんでした。陶磁器などと比べると、いわゆる雑物の扱いです。これは今も同じです。

 当時の大陸にも骨董店はあったでしょうが、趣味としてのジャンルや市場があったかどうかは疑問です。

 さて、そんな状況を鑑みるに、たぶん、骨董店では買っていないように見えます。

 ではどうやったのか。

 正解は無いのですが、可能性としては幾つか考えられます。

・中国人の軍属に依頼して集めて貰った。

・中国人が集めてあったものを譲り受けたか、あるいは強奪した。

 答えは、コレクション自身の中にあるかもしれぬので、この後、内容を点検する時に頭に置くと良いでしょう。

 こういうコレクションは蔵出しの雑銭と同様に、「全体を俯瞰的に眺める」ことが大切で、バラバラにせず、繰り返し全体を広げてみて関連性を考える必要があります。

 

「日本」改刻銭

 日本の貨幣を改刻して、「日本」と記した品がありますが、これが和銭であることを発見して敢えてそう刻んだことの意味は「差別化」であり、「憎悪」を示す一端だと思います。

 当時日本軍は満州だけでなく、大陸の各所に進出していました。快く思わぬ者も当然いた筈で、これを端的に示したものと言えます。

 

「徴兵制」

 貴方は回答の中に「上級国民」という言葉を使っていましたが、これはごく最近の言葉です。

 恐らくは「池袋の踏み違え事故」以後に盛んに用いられるようになったもので、高級官僚や一部の金持ちなどを指す言葉です。

 要は貧富の差などを中心に、「日本社会の中に階層分化や境遇の隔たりが拡大している」「という認識を土台にしています。

 この認識は戦前にはなく、戦前にあったのは「身分」でした。

 華族、士族と一般国民とは、制度上、別の括りになっていました。

 ただ、身分の違いがあるからと言って、徴兵制を免れることが出来たわけではありません。

 華族は別として、士族以下の男子は徴兵を免れることが出来ないようになっていました。

 ただ、「家長(跡取り)に召集令状が来るのが、次男三男よりも後」と言われており、家族員の多い農村部に割り当てが多く回ったので、結果的に地方の若者が多く出征する傾向を生んだ。

 戦争末期にはそれも原則的なものではなくなり、大学生にも召集が及ぶようになった。

 と言われています。

 機会があれば、ご家族に所縁のあるお寺を訪れてみるとよいでしょう。

 お寺の一室(多く本堂の裏)には、戦没者供養のための部屋が置かれているかもしれません。戦没者の位牌の中には十八歳から二十歳くらいの名前があったりするので、驚かされます。

 なお、身分の差はあれ、例外があったのはたぶん華族だけ。もし例外を認めると、不満が高まり国の体制が揺らぐ結果を招きます。制度は一定の公平性を維持しないと維持が難しくなります。

 

 ついですが、以前、大学で戦争の講義をしている時に女子学生が次のようなことを言いました。

 「今の若い子は軟弱だからいざ戦争が起きても兵士として役に立たないかもしれない」

 敵と戦うなど出来ないのではないかという見解です。

 この時には、「戦場では不服従は重罪で、もし従わぬとその場で射殺される惧れがある。『前進しろ』と言われてその命令に従わぬと、背後から上官に撃たれる。遠くから飛んで来る敵の弾と、五㍍後ろから上官に撃たれる弾とを比べ、どちらが生き延びる可能性が高いかは誰でも分かる」と回答しました。

 戦争とはそういうものです。

 

「参考銭は昔からある」

 兵士が戦前戦中に集めた古貨幣のコレクションにも、製造・流通当時のものではない品が幾つか含まれています。

 これは、大陸が広く、その分写しの類が日本よりもはるかに多いという状況に加え、「売れそうなものは何でも作った」という文化的背景によります。

 中国人は「百年先の子孫のために偽物を作り、地中に埋めて置く」とも言われます。

 大陸では今も偽物・レプリカが多く作られていますが、日本に割合本物が残っていたので、わざわざ日本に着て、「日本に残る中国銭を買い集め、その代わりに偽物を置いて行く」と言われます。

 鑑定基準も日本人尾知らぬ視角があるようで、以前、故宮博物院の研究員から譲られた品では、「どう見ても判断がつかない」品が幾つかありました。

 「どこを見ればそれと分かるのか」という質問をしたことがありますが、その答えは「作った人が分かっている」というものでした。要は「外見では判別がつかないものがある」ということです。

 

 幾つか気になることはありますが、現在は療養中なのでここまでとします。

 いつも通り、推敲や校正はしません(出来ない)ので、不首尾はあると思います。